
仙台の中心部の隠れた名園。伊達氏ゆかりの寺院に江戸後期〜明治時代に作庭された苔ともみじの美しい庭園と、戦災を免れた明治時代の茶室“緑水庵”。
良覚院丁公園(緑水庵庭園)について
「良覚院丁公園」(りょうかくいんちょうこうえん)は宮城県仙台市の繁華街・一番町やデパート「藤崎」から程近くにある公園/日本庭園。かつてこの地にあった仙台藩主・伊達氏ゆかりの寺院『良覚院』の庭園が残ります。江戸時代末期〜明治時代に作庭された庭園と明治時代より残る茶室『緑水庵』があり(茶室にちなんで『緑水庵庭園』とも)、“杜の都”仙台市の「緑の名所100選」に選定。
普段は庭園のみの見学/茶室は外観のみの見学ですが、毎月第1・第3火曜日に茶室の内部公開(有料で室内でお茶・お菓子の提供)が行われます。詳しい日程は仙台市の公式HPよりご確認ください。
2024年に数年ぶりに訪れたので、写真を更新して改めて紹介——初めて訪れた時も「仙台のど真ん中にこんな庭園があったのか!」と感じたけれど、数年ぶりに訪れると「こんなに新緑と苔が美しい庭園だったのか!?」と感じた…。(より苔深くなっている?)
「青葉通一丁目」駅からは徒歩8分、仙台の繁華街・一番町(一番町スクウェア)からはやや南西に外れた所に位置するので通常の観光の際にはあまり目にしないかもしれませんが、そんな街の一角に約2,000平方メートルの敷地をほこるこの庭園があります。
この地は江戸時代には京都の大寺院『聖護院』の末寺『良覚院』という修験道の寺院がありました。良覚院と伊達氏の縁は古く、良覚院を開いた平安〜鎌倉期の僧・日林は伊達氏の始祖・伊達朝宗に従う形で常陸国から福島の伊達郡へと移り、以来代々の住職&良覚院は伊達氏に伴う形で場所を移してゆきます。
仙台のこの地に移ったのは江戸時代で、伊達政宗が岩出山城から仙台城(青葉城)へと居城を移したのに伴って政宗からこの地を賜ったのだそう。
そんな伊達氏と縁深い寺院、江戸時代には代々の藩主の信頼を得て藩政上の役割も請け負っていたそうですが、明治時代に修験道の廃止と廃仏毀釈によって廃寺に。その境内(敷地)は個人の所有となります。
現在残る池泉回遊式庭園は、江戸時代後期の1849年(嘉永2年)に良覚院の庭園として作庭されたのがそのルーツ。個人邸となった明治時代中期に日光からきた庭師に5年掛けて改修され現在の姿になったとされます。尚、庭園の一角に建つ茶室「緑水庵」は明治32年の建築で、仙台の大空襲の被害を免れた貴重な和風建築の一つ。
個人邸だったこの庭園・茶室が公園としての公開が始まったのは昭和36年のこと。仙台市の復興事業では一時この庭園の中を街路を通す形で区画を計画されたものの、地域・市民の方々の「この名園を残して欲しい」という要望の元で、この庭園は保存されることに。同時に元の所有者の佐藤家(佐藤源助/佐藤治三郎氏)から茶室が寄贈されました。
…という歴史から振り返ると、昭和の半ばの時点では《仙台の名園》として知られていたのがこの庭園。これまで訪れた二度とも他に見学者がいない——という中だったので、仙台市民の方でも実は足を運んだ事がないという方は一定数居るんじゃないかなあ…と思うけれど、茶室の前に横たわる大きな庭石、深さのある池泉、そしてモミジの巨木の数々——は“名園”と呼ばれた庭園の歴史とスケールの大きさを感じさせられる!
冒頭に書いた通り、こんなに苔むした庭園だったっけ…?と思う程、きれいな苔庭が広がる…青もみじと苔が雨に濡れて美しい姿を見せてくれそうな5〜6月に訪れるのが良さそう(もちろん紅葉の時期も!)。近代の資産家?の庭園の割に石造物は多くないけれど、苔庭の中に一基だけ鎮座する大きな春日燈籠が存在感を放つ。あまり観光化されていない、穴場の《仙台の名園》。地元の方も旅行者の方もぜひ立ち寄ってみて。
(2017年4月、2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
仙台市地下鉄東西線 青葉通一番町駅より徒歩7分
JR東北新幹線 仙台駅より徒歩20分
JR仙石線 あおば通駅より徒歩13分
JR仙台駅より路線バス「高等裁判所前」バス停下車 徒歩1分/「晩翠草堂前」バス停下車 徒歩3分
〒980-0812 宮城県仙台市青葉区片平1丁目2-5 MAP
投稿者プロフィール
