鶴ヶ城 茶室「麟閣」

Tsurugajo Castle Tearoom "Rinkaku", Aizuwakamatsu, Fukushima

会津若松のシンボル“鶴ヶ城”。桃山時代、城主/大名・蒲生氏郷の為に千利休の子/千宗旦の父・千少庵が造営した茶室“麟閣”。福島県指定重要文化財。

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鶴ヶ城・茶室「麟閣」について

「麟閣」(りんかく)は福島県会津若松市のシンボル『鶴ヶ城』こと『若松城』(会津若松城)の本丸にある茶室。千利休の子・千少庵による建立と伝わり、福島県指定重要文化財となっています。茶室の周りには露地・茶庭も。
2026年、数年ぶりに訪れたので写真を追加して改めて紹介。

まずは『鶴ヶ城』の通称で知られる『若松城』について。中世にこの地を治めた蘆名氏によって南北朝時代にその元となる館が造営されます。時が流れ、桃山時代の1592年(文禄元年)に42万石(後に92万石)の大大名として会津城主となったのが蒲生氏郷。氏郷によって天守閣と城下町が整備。
幕末〜明治維新にかけての戊辰戦争によって、当時の天守閣は大きなダメージを負い戦後に取り壊されているので、現在見られる天守は1965年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの(『鶴ヶ城天守閣郷土博物館』として公開)ですが、その一帯は「若松城跡」として国指定史跡となっています。

蒲生氏郷は主君だった織田信長豊臣秀吉と同じく千利休に茶の湯を師事し、古田織部細川三斎らとともに“利休七哲”“利休七人衆”などと呼ばれていたそう。利休セブン。
そんな立場もあって、千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた際には会津に息子・千少庵をかくまいました。

そんな千少庵が会津滞在中に鶴ヶ城の本丸に作った茶室がこの「麟閣」。そののち少庵は京に戻り「千家」を再興、その息子・千宗旦と三人の孫により表千家・裏千家・武者小路千家の「三千家」が確立され現代まで伝わりますが、まさに萌芽の時間を過ごした頃に建立された貴重な茶室がこの麟閣。

この麟閣も鶴ヶ城の取り壊しの際に解体の危機に瀕しました。しかしその消失を惜しんだ会津の石州流の茶人・森川善兵衛(指月庵宗久)によって自邸に移築され保存。それから約120年間に渡り森川家で保存され、1990年(平成2年)に会津若松市制90周年のプロジェクトとして、同じく移築保存されていた腰掛待合とともに鶴ヶ城本丸の茶室のあった元の場所に戻されました。

その他の建築(門など)や茶庭・露地は移築にあたって新たに作庭/再現されたものですが、移築から35年以上経ちふたたび“歴史を帯びた”空間となってきています。茶室には三千家の平成年代のお家元(裏千家15代・千宗室/表千家14代・千宗佐/武者小路千家14代・千宗守)による扁額がそれぞれ架かる…というのもまた貴重な姿。

この貴重なお茶室は現在も茶会で利用されているそうで、千少庵の月命日の7日には月釜が開催。またふだんも入場料とは別料金(600円)で、庭園や鶴ヶ城天守閣を眺めながらお茶を楽しむことができます。鶴ヶ城を訪れた際はぜひこの茶室も見学してみて!(※なお『会津武家屋敷』には麟閣の“復元”もあります。)

(2019年5月、2026年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR磐越西線 会津若松駅より観光周遊バス「鶴ヶ城北口」バス停下車 徒歩5分
会津若松駅より3km弱(徒歩35分・駅にレンタサイクルあり)
JR只見線 西若松駅より約2km(徒歩25分)
仙台駅・福島県内から高速バス利用の場合は「鶴ヶ城・合同庁舎前」バス停下車 徒歩10分

〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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