大龍寺庭園

Dairyu-ji Temple Garden, Aizuwakamatsu, Fukushima

江戸幕府のお抱え庭師・目黒浄定が名勝『御薬園』の前に作庭した庭園。“八重の桜”ゆかりの寺院としても有名。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

大龍寺庭園について

【拝観には要許可】
「宝雲山 大龍寺」(だいりゅうじ)は『鶴ヶ城』と『さざえ堂』の中間あたり位置する寺院で、戦国時代に信濃国守護を務めた戦国大名/武将・小笠原長時により創建。江戸時代初期に会津に入った会津松平家の祖・保科正之により現在の寺名に改められました。大河ドラマ『八重の桜』の主人公にもなった新島八重の出自である山本家の菩提寺として知られます。

2019年のGWに1年半ぶりに訪れた会津若松で、『会津松平氏庭園(御薬園)』を手掛けたの作庭家・目黒浄定の庭園を巡りました。
このさんの庭園もその一つ――なのですが、大河ドラマで山本家が有名になったことで一時期はとても多くの人が訪れたらしく。なので事前に観光案内サイトか何かで調べた時には、墓所参拝に関しては注意事項があって――(控えてくれ、みたいな内容)、一方で庭園の拝観に関しては情報が無く…。

事前に電話で拝観についてお聞きしたようなしなかったような…記憶が定かではないけど、庭園拝観については許可をいただいて訪れました。その前段があったので「ご迷惑だったらどうしよう」という心配があったけれど、奥様はとても親切にお寺について説明してくださって。感謝申し上げたいと思います。

お寺の歴史をもう少しだけ。小笠原長時は信濃国守護――と言っても、家督を継いで以来ずーっと甲斐国・武田信玄の脅威に曝され続けた。武田軍の連戦連勝。それはしんどい。長時自身も信濃を離れ京都~越後と転々とし、最終的にこの会津の地で蘆名氏に仕えて最期を迎えました。自ら創建した『桂山寺』が大龍寺の前身であり、境内には長時の墓所も残ります。

ちなみに長時自身は信濃に戻ることなくこの世を去りますが、その後小笠原家は松本城を奪還。江戸時代に播磨国・明石藩を治めた小笠原忠真は宮本武蔵を重用し明石城に庭園を造らせたり。小笠原家は幾つかの藩で明治維新まで藩主を務めました。
大龍寺は飯盛山の山裾という立地から当然戊辰戦争の時も兵士が訪れたのですが――その小笠原家ゆかりの寺院だったという点で戦場となることは免れ、むしろ新政府軍の拠点の一つとして使用されたそう。

新島八重に関する説明は省略しますが、夫・新島襄とともに八重も設立・経営に携わった同志社大学から送られた八重紅枝垂桜が本堂前に植樹されており、今回訪れたタイミングではちょうど見頃を迎えていました!なお会津藩主・松平容保の息子でのちの子爵・松平容大はこの大龍寺で生まれたそう。

そして本堂の裏に庭園があります。作庭を手掛けたは江戸幕府のお抱え庭師であったとされているけど、作者として名が残る庭園は会津若松にだけ集中している。
五代目会津藩主・松平容頌に招かれ『御薬園』を造営することになった目黒浄定が試作として作ったのがこのお庭と伝わっていて――御薬園や『可月亭庭園』の2つと比べると山裾というロケーションが全く違うのだけど、高低差で視点を上下に動かす園路(この庭園に関しては他2箇所と違って自然の高低差だけど)や、護岸の主張が強くない中島の感じとかは似ているなと思う。

秋には京都の高雄や嵐山から移植されたという“大龍寺のかえで”が真っ赤に染まって美しいとか――。春は春でとても良い雰囲気の庭園だったけれど(白い花が咲いている高木、なんだろう?)、いつかまた秋にも見てみたいなあ。

(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR磐越西線 会津若松駅より約2.5km(徒歩30分強)※駅にレンタサイクルあり
会津若松駅より観光周遊バス「慶山」バス停下車 徒歩5分

〒965-0812 福島県会津若松市慶山2丁目7-23 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。