飯塚邸庭園“秋幸苑”

Iizuka-tei Garden (Shukoen), Kashiwazaki, Niigata

庭園を命名されたのは昭和天皇。二度の中越大地震の被害から蘇った江戸時代〜近代に建築の豪農屋敷と日本庭園。柏崎市指定文化財(史跡)。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

飯塚邸・秋幸苑について

「飯塚邸」(いいづかてい)は新潟・柏崎市に江戸時代から残る豪農の館。その日本庭園“秋幸苑”(しゅうこうえん)は昭和天皇が滞在した際に賜った名前で、「秋幸苑と行在所」として柏崎市指定文化財(柏崎市指定史跡)となっています。

2022年10月に約4年ぶりに訪れたのでその際の写真を更新。
新潟に多く残る“豪農屋敷の庭園”は国指定文化財であっても世間一般はもちろんシーン/業界の中でも認知度・注目度は高くない。この飯塚邸はさらに「柏崎市指定史跡」というところで、初めて訪れる前も期待値は高くなかったんですが……いや、庭園としての評価をほとんど見たことがなかった屋敷でもこの広さとクオリティ、新潟の庭園ってマジでスゴいな…!と感じさせられる庭園。

庭園の話は後述として、他の豪農屋敷にも負けず劣らずの重厚でデカい表門(長屋門)が迎えてくれる飯塚邸。飯塚家は江戸時代から当地の大地主として地位を築き、地域の政界・経済界を支えた家柄。冒頭にも書いた通り、昭和時代(終戦後の1947年)には昭和天皇の全国御巡幸の際の行在所になったことからも地域の中での格が窺い知れる。

2001年(平成13年)に14代目当主・飯塚知義氏から柏崎市へ寄贈され、2003年から一般公開がスタート。その翌年には中越地震、2007年には中越沖地震と2回の大きな地震の被害を受け休館された期間もあったそうですが、修復を経て柏崎市唯一の古民家施設として現在へと至ります。

まずは建築のお話から。江戸時代末期には平屋建だった座敷棟(主屋一階)をベースとして近代〜昭和時代にかけて増築されたのが池泉庭園に面した主屋。
そして渡り廊下の先にある「新座敷棟」は大正時代の建築で、2階部分は昭和天皇の御巡幸の直前の増築。意匠を凝らせた欄間や襖絵のある近代和風建築となっています。(昭和天皇が使用されたという椅子と机の展示も)

なによりこれだけ歴史のある大型の木造建築が、二度の大地震を受けながら倒壊を免れているという事実からも、素材の良さや大工の腕のスゴさを感じられる…。

そして施設名こそ古民家だけを連想する「飯塚邸」だけれど、敷地の大部分を占めるのが庭園。文化財であることが全てではないけど、これが「市指定史跡」だけでいいのか…昭和天皇が庭園名を命名してるほどのクオリティでありながらもこれだけ存在感がなかったのは果たしてどうしてかと考えさせられるぐらい、本当に素晴らしい庭園…。

主座敷の前には一面のモミジと苔の美しい池泉回遊式庭園。そして新座敷棟の前にはこれまた広く苔むした中に飛び石が配された茶庭(露地庭)と茶室があります。同じ柏崎市の国指定文化財庭園『貞観園』ほどではないにせよ緑の世界にいざなわれるこの庭園、明治時代に作庭を手掛けたのは『貞観園』当主の村山哲斎正範氏なんだとか(*参照)。
モミジや苔だけでなく、この地域ならではの佐渡の赤玉石の置かれ方や池泉の感じなんかも似ていると言われればそんな気もする。

長屋門の中にある蔵の中では飯塚家に伝わる調度品・工芸品などの展示も。同じ市内と言っても『貞観園』からはかなり離れていて、公共交通機関の場合は気軽にハシゴと言える距離ではないのだけれど、ぜひ併せて訪れて欲しいし全国のファンに伝えたい素敵な庭園!

(2018年9月、2022年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR信越線 柏崎駅より約5km(駅前の観光案内所にレンタサイクルあり)
柏崎駅より路線バス「駐在所前」バス停から徒歩2分(平日3往復/土日祝2往復)/時刻表は越後交通のウェブサイトにて→こちら

〒945-1122 新潟県柏崎市新道5212-4 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。