京都の世界遺産・銀閣寺をはじめ、日本全国各地の文化財庭園の修復に携わった作庭家・田中泰阿弥。氏を育てた新潟・柏崎に庭園文化を持ち込んだ庭師・相澤熊蔵の現存する貴重な庭園。
刈羽村老人福祉センター「いこえ〜る」(旧ことぶき荘)庭園について
「刈羽村老人福祉センター いこえ〜る」(かりわむらろうじんふくしせんたー・いこえ〜る)は新潟県の南西部、原子発電所の立地自治体として知られる刈羽村にある福祉施設。近代に当地で活躍した庭師・相澤熊蔵が作庭した日本庭園が残ります。
京都の世界遺産&国宝『銀閣寺』の御用達庭師として当サイトでもたびたび名前を挙げる作庭家・田中泰阿弥。氏が生まれ育った新潟県柏崎市に江戸の庭園文化を持ち込み、“刈羽柏崎の庭師の祖”と呼ばれたのが相沢熊蔵。田中泰阿弥の兄も相沢熊蔵に弟子入りしていたとか(=実質的には田中泰阿弥の“大師匠”)。柏崎市の『松雲山荘』を作庭した庭師・蓮池周作/蓮池軍一郎親子の師でもあります。そんな相沢熊蔵が明治時代に作庭し、公開されている貴重な庭園がこちら。
相沢熊蔵は元は幕末の江戸の出で、江戸では将軍・徳川家(=『江戸城庭園』)や大名家に出入りした庭師だったとか。
しかし幕末~明治維新期にそれまでの社会・階級が一変すると相沢熊蔵も江戸を離れ、上州前橋藩や信州松本藩の出入り庭師に。やがて越後出身の奥さんの導きで柏崎・刈羽に辿り着き、当地で“松屋の爺さん”と呼び親しまれながら作庭に励みました。
そんな相沢熊蔵が明治時代に当地の有力者・安沢氏の邸宅に作庭したのが現在の刈羽村老人福祉センター「いこえ〜る」(旧ことぶき荘)庭園。他にも刈羽・柏崎には氏の庭園が複数残るようですが、公開されているのはこちらのみ。
残念ながら2005年の新潟県中越地震で水源が枯れ、現在は枯池となっていますが、心字池を中心に背後の山の斜面を活かした立派な滝石組のある池泉回遊式庭園を見ることができます。斜面にサツキ/ツツジなどが植わった江戸時代のスタイルと、この山に自生していた?自然の紅葉の双方が活かされた庭園。
池の中央には折れたままの大きな石橋がそのまま残されていて、中越地震の大きさと痕跡を生々しく感じられることができます。
「以前はもっときれいだったんですけどね」と施設の方も現状に満足しているわけではないようだったけれど、過疎高齢化の進む地方の自治体で庭園に予算を投じ続けることも簡単ではなく…(というより年々難しくなっていく)。
その中でも芝生の中で新たに山野草を育てられていたりと、新たに“ガーデン”の要素を加え地域の安らぎの場として育ち始めている様子も伺えます。お近くを訪れた際には立ち寄ってみて。
(2022年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)