角屋もてなしの文化美術館

Sumiya Motenashi Art Museum Garden, Kyoto

京都を代表する花街・島原に国内で唯一現存する揚屋建築の、幕末の志士も眺めた枯山水庭園。国指定重要文化財。

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角屋もてなしの文化美術館“角屋の庭”について

「角屋」(すみや)は江戸時代の京都を代表する花街だった“島原”で唯一現存する揚屋建築。建物が国指定重要文化財(大正時代建造の大広間“松の間”は国登録有形文化財でもある)、庭園が京都市指定名勝となっています。

古い町並みに興味を持った頃に“遊郭”にも興味を持ち、島原を知って初めて足を運んだのもその頃(でも島原は遊郭ではなく“花街”です、というのは解説でも強調されます)。現役の花街である祇園や上七軒と比べるとだいぶ住宅街といった感じではありますが往時を思わせる建物が点在、何より島原大門の前のカーブが好き。
と、町並みには何度か足を運んでいたのに、角屋の休館日に来てしまうことが多く…。今回初めて鑑賞!

“揚屋”というのも聴き慣れない言葉なんですが(引き揚げるという意味…?ではなかった)、今でいう料亭。なので順路の序盤には大きな台所があり、芸妓さんも自分たちでは抱えずに置屋さんから派遣されてくる。一方で遊ぶための料亭というばかりではなく、江戸時代中期の儒学者・頼山陽は母親を連れて角屋の隣にあった揚屋「八文字屋」で食事を楽しんだというエピソードも。

寛永年間の1641年の島原移転当初から存在していたという角屋が現在残る規模の大きさになったのは1787年。江戸時代中期には当時の当主が俳人・与謝蕪村に師事したことで国指定重要文化財の「紅白梅図屏風」を所蔵したり、幕末には西郷隆盛坂本龍馬久坂玄瑞らの密儀に使われたり、新撰組の芹沢鴨が『八木家住宅』で暗殺される前に宴会を開いていたり…と歴史的人物も数多く訪れました。

明治時代以降は当時は京都の郊外だった島原全体が衰退。角屋が営業していたのも昭和後期の1985年までで、平成元年に財団法人角屋保存会が設立。「角屋もてなしの文化美術館」として開館したのは1998年(平成10年)。八木家と同じく角屋もご当主が健在という私立美術館であり、美術品や江戸時代の来訪者名簿などの貴重資料が展示・公開されています。あともちろん遊興の場なので、建物の意匠も凝っている!(一面網代天井の“網代の間”など)

京都市名勝となっているのは松の間から眺める主庭“臥龍松の庭”だけでなく、玄関庭や坪庭も。
その中でも“臥龍の松”と称されたクロマツを中央に配した主庭は、江戸時代の名所ガイドブック『都林泉名勝図会』や歌川広重歌川国貞にも描かれ、当時から角屋の名物として知られたそう。ということは、紛れもなく先に挙げた人物もこの庭園を座敷から眺めている、なんて思うと「おおぉ」と思いますね(但し、このクロマツは一度枯れて現在二代目)。

また、ただの料亭や遊郭(妓楼)とは異なる揚屋建築のもう一つの特徴というのは、庭園にあるお茶室。角屋にも元禄年間(1700年前後)に建てられた表千家宗匠・覚々斎好みの「曲木亭」と、藪内竹心門の安富常通清隠斎による「清隠斎茶席」、そして江戸中期の表千家宗匠・了々斎好みの「囲の間」という3つの茶室があります。

また予約制で建物二階の特別公開も。今回は見られなかったので…また次回に…!(あとお茶室も特別公開されることがあったら見に行きたいなあ)

(2020年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR嵯峨野線 梅小路京都西駅より徒歩5分
最寄りバス停は「梅小路公園・JR梅小路京都西駅前」下車徒歩5分

〒600-8828 京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町32 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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