名張藤堂家邸跡庭園

Nabari Todoke-tei Garden, Nabari, Mie

藤堂高虎の養子・藤堂高吉を祖とする名張藤堂家の武家屋敷には江戸時代作庭の枯山水庭園も。三重県指定史跡。

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名張藤堂家邸跡について

「名張藤堂家邸跡」(なばりとうどうけていあと)は江戸時代に名張の城下町をおさめた武将・藤堂家のかまえた屋敷の遺構。三重県指定史跡となっており、敷地内には枯山水庭園も残ります。

藤堂家といえば藤堂高虎。名張藤堂家は、その高虎の養子であり、織田信長の重臣として知られる丹羽長秀の三男でもある藤堂高吉を祖とします。この藤堂高吉は豊臣秀吉の要望により豊臣秀長の養子でもありました。

伊予国・今治城主→伊勢国・津城主となった藤堂高虎、藤堂高次親子。彼らにとっては高吉は扱いづらい相手だったのか、最終的には伊勢国ではなく領地交換で得た伊賀国・名張5000石に高吉を移住させました。
そんな感じで“大名”という格ではなかった高吉ですが、今治から連れてきた家臣や商人とともに城下町を築き、“名張藤堂家”として明治維新まで11代続くことになります。その家系は現在も続いているのだそう。

現在残る屋敷は1710年(宝永7年)の名張大火の跡に再建されたもの。現在残る部屋数は4〜5部屋といったところで決して“広い”とは感じないのですが、記録に残る邸宅図を見ると現在残るのは1/15程度!
明治時代の版籍奉還後にその大部分を取り壊してしまったそうですが、現存するのは茶室として用いられた“清閑楼”など藤堂家当主が暮らした主要部分。広くない割にはその床の間の感じとかが格式高い感じがするな〜というのはそういうことだったのか。まさに“ほぼ大名”の格式高い上級武家屋敷の遺構と言えます。

邸内は撮影禁止ですが、庭園は撮影許可をもらいました。この枯山水庭園も1710年の再建以後に作庭されたもの(だから江戸時代中期?)。元の邸宅の規模を考えると決して広くはなく、迎賓的な意味合いよりはプライベートな庭園だったんだろうなという感じですが、中央の築山のかっこいい石組の先には西側の山々が借景としてのぞめます。

邸内では藤堂家に伝わる宝物の一部が展示されています。これらは藤堂家から名張市にすべて寄贈され名張市指定文化財。豊臣秀吉・丹羽秀長の書簡や柳生宗矩の書状、藤堂采女が大阪夏の陣で用いた朱具足など、歴史が好きな人なら面白そうなものが色々。

また邸宅裏にある「寿栄神社」の門として、かつての藤堂家正門(太鼓門)が移築されています。名張の街は今回初めて訪れたのですが、想像していたよりもかなり城下町っぽい雰囲気や古い建造物が残っていた。今回はこことアーケード街しか歩けなかった(けど他にも国登録有形文化財の公開町家などもあったっぽい)ので…また訪れたい。

(2020年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

近鉄大阪線 名張駅より徒歩6分

〒518-0718 三重県名張市丸之内54-3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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