日本で最も早く梅の花が咲く?文化財庭園は、国の重要伝統的建造物群保存地区“薩摩の小京都”知覧に残る国指定名勝『知覧麓庭園』の一つ。
知覧武家屋敷 佐多直忠氏庭園について
「佐多直忠氏庭園」(さたなおただしていえん)は鹿児島県南九州市の“薩摩の小京都”知覧に残る江戸時代の武家屋敷に作庭された庭園群『知覧武家屋敷庭園』を構成する庭園の一つ。「知覧麓庭園」として国指定名勝。
国の重要伝統的建造物群保存地区の“薩摩の小京都”知覧武家屋敷通り。
江戸時代を通じて現在の鹿児島県+宮崎県の一部までに及んだ薩摩藩を治めた大名・島津家は、その広い領地を治めるために薩摩藩独自の制度「外城制」を導入。武士を鹿児島の城下町だけに集積させるのではなく、藩内の各地に「麓(ふもと)」と呼ばれる小さな城下町のような武家集落を形成させ住まわせました。その数は100以上(113)!
現在ではこの知覧のほかにも、『志布志麓』には国指定名勝の庭園群が、そして『出水麓』や『入来麓』が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。そんな「麓」の代表格と言えるのが知覧麓。江戸時代初期に薩摩藩二代目藩主・島津光久の子の島津久逵が入って以降の知覧領主は“知覧島津家”とも呼ばれたそう。
現在見られる武家屋敷通りの町並みはその2代後、薩摩藩主・島津継豊の子でもあり知覧島津氏に入った島津久峰が領主だった江戸時代中期に形作られたもの。国指定名勝の庭園のみならず、この知覧では母ヶ岳を借景とした約1kmにも及ぶ美しく刈り込まれた生垣・植込の街並みを見ることができます。
その武家屋敷通りの中心部に並ぶ3つの佐多家。かつての知覧領主の流れ“佐多氏”の流れをくむ家柄で、江戸時代には“御役人”と呼ばれる知覧の最高の役職を担う家の一つでした。
「⑥佐多直忠氏庭園」は江戸時代中期の寛保年間(1741年〜1744年)の作庭と伝わる、知覧武家屋敷庭園の中で最も古い庭園の一つ。また建築も1800年代前半、知覧島津家重臣の佐多十郎左衛門の時代に建築されたものが残り、「佐多直忠氏住宅 附 腕木門 目隠し(屏風岩)」として鹿児島県指定有形文化財となっています。(7つの庭園のうち森重堅邸と佐多直忠邸のみ建築も文化財)
庭園へ足を踏み入れると、手前には白砂とサツキの低木の刈り込みと低く埋め込まれた庭石、正面には庭園の奥には鋭い岩を高い峯として見せる枯滝石組とそれを覆うように刈り込まれた生垣。そして庭園と一体化した母ヶ岳の借景をのぞみます。
「鋭い峯」と「それを覆う刈込」という庭の構成は「①西郷恵一郎氏庭園」、「②平山克己氏庭園」、「④佐多美舟氏庭園」、「⑤佐多民子氏庭園」でも見られる知覧の庭園の特徴の一つ。
その中での佐多直忠氏庭園の特徴は“梅”。石組の左右に置かれた梅の木は、冬場は枝が一つのデザインになっているし、2月中旬頃には本州の中では最も早い時期に?梅の花を咲かせ庭園を彩ります。あと竹の結界を置いて人が足を踏み入れない影響なのか?7つの庭園で唯一苔が広がってきている。
その他の7箇所の庭園については以下よりご覧ください。
- [1] 西郷恵一郎氏庭園 / Saigo Keichiro’s Garden
- [2] 平山克己氏庭園 / Hirayama Katsumi’s Garden
- [3] 平山亮一氏庭園 / Hirayama Ryoichi’s Garden
- [4] 佐多美舟氏庭園 / Sata Mifune’s Garden
- [5] 佐多民子氏庭園 / Sata Tamiko’s Garden
- [7] 森重堅氏庭園 / Mori Shigemitsu’s Garden
- [8] 旧高城家住宅 / Kyu-Takagi House Garden
(2013年2月、2017年12月、2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)