旧崇広堂庭園

Kyu-Sukodo Garden, Iga, Mie

“赤門”の愛称で親しまれる、伊賀上野の城下町に津藩主・藤堂高兌が江戸時代後期に設立した藩校の庭園。国指定史跡。

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旧崇広堂庭園について

「崇広堂」(すうこうどう)は江戸時代後期に津藩10代目藩主・藤堂高兌により伊賀上野に設立された藩校。「旧崇広堂」として国指定史跡で、講堂・御成門などの当時の建築や庭園が残ります。

2021年10月に初めて伊賀上野の城下町を訪れました!2022年3月に同じ伊賀市の国指定名勝『城之越遺跡』を訪れ紹介しましたが、中心部にはその半年前に訪れてた…紹介が遅くなったけど歴史的な街らしく幾つか庭園が。

かつての上野城跡の南西部、外堀内に位置する旧崇広堂。伊賀や大和、山城国寄りの領地に住む藩士の子の教育のため、津の藩校“有造館”の支校として1821年(文政4年)に創立。現在も掲げられる“崇広堂”の扁額は米沢藩の名君・上杉鷹山(上杉治憲)の筆。

1854年の安政の大地震(安政の伊賀上野地震)で当初の建築の多くは失われましたが、現在施設として残されている玄関棟や72畳の広さの講堂(外観はお寺の本堂みたい)は大地震に耐えその姿を現代に伝えます。

明治維新・廃藩置県の後は村立・町立の小学校として用いられた後、1905年(明治38年)から1983年(昭和58年)の約80年間は市立図書館として地元の方々に親しまれました。創建当初から残る表門にちなんで“赤門”の愛称も。

庭園はざっくり分けて2箇所。まずは講堂の前に広がる庭園。その名の通り匂玉のような形の“匂玉池”を中心とした池泉回遊式庭園。現在は水を入れていないみたいですが、池の北東部(匂玉の上のほう)には滝石組も残る。

この池泉庭園、江戸時代の藩校の絵図には描かれていないみたいで…(中庭は描かれてる)。庭園の一角(道路沿い)の“有恒寮”が今の場所に移されたのが明治時代(明治39年)なので、その際に作庭されたものかな…。そうだとしても既に100年以上が経過した近代の庭園ではあり、大きなモミジの木が秋にはきっと紅葉を見せているんだろう。

もう一つが玄関棟・講堂・北控所の中庭。苔の中に手水鉢と植栽が配されたシンプルな庭園だけど、こちらは江戸時代の絵図とも位置が一致します。

訪れた時には『GLASS ART EXHIBITION IN IGA 2021』の開催期間中で、美しいガラスのアート作品で日本建築が彩られていた。例年行われているイベントのようなので、ぜひその期間を狙って訪れてみて!

(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

伊賀鉄道 西大手駅より徒歩4分・上野市駅より徒歩7分

〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内78-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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