萩藩御用達として毛利家や奇兵隊の財政を支えた豪商の国指定重要文化財のお屋敷は庭園も◎。シーボルトから贈られた“日本最古のピアノ”も!
熊谷美術館(熊谷家住宅)庭園について
「熊谷美術館・熊谷家住宅」(くまやびじゅつかん・くまやけじゅうたく)は世界遺産の城下町・萩の長州藩(萩藩)御用達だった豪商の邸宅(国指定重要文化財)と庭園と、その豪商に伝わる美術工芸品を展示する美術館。かのシーボルトが日本に持ち込み“日本最古のピアノ”と言われるスクエアピアノ(萩市指定有形文化財)が宝物として展示されています。
幕末の志士や明治維新後に政府の要職を務めた人材を多数輩出し、2015年にユネスコ世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』にも登録された萩の城下町。そんな歴史ある街には先人の旧宅/武家屋敷や町家に多数の庭園が残ります。萩出身の偉人のひとり、山縣有朋が東京『椿山荘』、京都『無鄰菴』など“山県三名園”を作り上げたバックグラウンドとして、萩の城下町では“庭園”が身近な存在だったことが影響している(のだと思う)。
熊谷家も萩藩主・毛利家を支えたのみならず、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文ら萩の偉人を支えたパトロンの一人。そんな豪商にふさわしい大変素晴らしいお屋敷とお庭…!なのですが、萩の中心観光地域からは少し外れているため来館者はなかなか少ないとか…。(かく言う自分も三度目の萩で初めて来訪)
これはお庭や建築好きな方が見落とすにはもったいないお屋敷!という点をはじめに記します。
江戸時代初めに萩城下に移り住み商売をはじめた熊谷太兵衛を祖とする熊谷家は問屋/金融/仲買/製塩業を営み萩藩を代表する豪商へと成長。江戸時代中期、7代目藩主・毛利重就が藩財政の立て直しに取り組む際には熊谷五右衛門芳充が役職/上方町人格に任ぜられました。(その当時は全国的に見ても大坂を代表する豪商・鴻池家や加島屋と同じ格)
そんな熊谷家が1768年(明和5年)に新築したお屋敷が現在の「熊谷家住宅」。約10,000平方メートルの敷地に国指定重要文化財の主屋、離れ座敷、本蔵、宝蔵と他13の蔵が立ち並び、主屋と離れ座敷の間に中庭(庭園)があります。
順路では手前に離れ座敷、奥に主屋…と言った配置ですが、見学前後にかつての路地に回り込んで主屋を玄関から見ると、奥にこんな広いお屋敷が広がっているのか…!と驚く規模。(現在の受付側に通る山口県道295号も、きっと熊谷家が町のために用地を提供して広げられたのでしょう)
主屋も離れ座敷も縁側・廊下からのみの見学になりますが、主屋の印象的な欄間の意匠、離れの円窓やこけら葺き、共通する軒の大きな広縁や分厚い奇石の沓脱石などがその格式を伝えます。
その庭園は萩市内の古いお屋敷(『菊屋家住宅』や『旧田中別邸』など)で見られるのと似た、茶砂の中に飛び石の配された、(「出雲流庭園」に似た雰囲気を持つ)回遊式の枯山水庭園。
築山や石組のような要素がない一方で、屋根をゆうに超える高さのソテツやきれいに刈り込まれた生け垣、そして樹齢300年超の黒松、靴脱ぎ石には分厚い奇石…とポイントポイントに施主のこだわりが感じられる庭園(そのソテツの仕立て方が「鶴」を表しているようにも思える)。この生きたマツを背景に、この庭園を舞台として藩主御成の際に薪能が披露されていたとか。
そんな由緒あるお屋敷の蔵を活用して1965年(昭和40年)に開館したのが「熊谷美術館」。現在では冒頭に書いたシーボルトのピアノが最も有名ですが、長州を代表する豪商だった熊谷家には山口県/周防国にもゆかりある“画聖”雪舟や雪舟の画風を受け継ぐ雲谷派の画家の作品やその他全国から集められた絵画、古文書、茶道具、ピアノのように海外から持ち込まれた品々などなどが展示。
また現在は駐車場となっている広場は明治時代以降に街の政策として推奨された「夏みかん栽培」の為の夏みかん畑でした(現在も敷地の一部で夏みかんが栽培されていて、収穫の季節には来場者にもお裾分けが…)。冒頭にも書いた通り、スルーするにはもったいないお屋敷!浜崎エリア~中心エリアへの移動の途中に是非立ち寄ってみて。
(2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 東萩駅より徒歩20分(※駅前にレンタサイクルあり)
JR萩駅、山口駅方面より路線バス「萩・明倫センター」バス停下車 徒歩15分
〒758-0052 山口県萩市今魚店町47 MAP