鴻池新田会所庭園

Konoike Shinden Kaisho Garden, Higashiosaka, Osaka

江戸時代の河内・大阪郊外の姿を今に伝える、国指定史跡&国指定重要文化財施設。船着き場が残る池泉回遊式庭園も。

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鴻池新田会所庭園について

「鴻池新田」は江戸時代中期、豪商・鴻池家により河内国で開発された新田。「鴻池新田会所」(こうのいけしんでんかいしょ)はその新田の管理・運営を行った施設で、「旧鴻池新田会所」として国指定史跡&本屋・屋敷蔵・文書蔵・米蔵・道具蔵の5棟が国指定重要文化財。敷地内には“弁天池”を中心とする日本庭園も残ります。

同じ東大阪市の文化財『旧河澄家住宅』を訪れた後に教えてもらい、2021年9月に初めて訪れました(その間がけっこう空いてるのは春の間は緊急事態宣言の影響で閉まってたりしたから…)。

1704年(宝永元年)、現在の大阪市平野区と八尾市の南を流れる大和川の付け替え工事により、その北部には流れが途絶えた河川跡や沼地跡など新たに広大な敷地が生まれました。そこに数多くの新田が開墾され、鴻池新田も大阪の豪商・鴻池家三代目の鴻池善右衛門宗利により開発。

(でもところで地図で見ると大和川と鴻池新田ってめっちゃ離れてる。河川は“自然”の一部に構成されるようで、実際は長い歴史の中でめちゃくちゃ人工的に改編されてきたものなんだよねと)

で、鴻池家について。戦国時代に山陰で勢力を広げた大名・尼子氏の家臣の山中鹿之介(山中幸盛)がルーツ。初代・鴻池新六幸元が戦難を逃れるため摂津国に移住。以来、桃山時代~江戸時代初期にかけて酒造業で成功、大坂にも店をかまえ海運業~金融業と商売を拡大し豪商へ成長しました。

明治時代には現在の三菱東京UFJ銀行へと繋がる“第十三国立銀行”“大阪貯蓄銀行”を設立。“鴻池財閥”と呼ばれるまでになる一方で、鴻池新田も第二次世界大戦後の農地改革まで約240年に渡り運営されました。農地改革と財閥解体で大打撃を受けた鴻池家ですが、現在も大阪を中心に不動産業などを経営。
ちなみに大阪で“鴻池”と言うと鴻池組を思い浮かべるけど、こちらは別の鴻池家で一族ではないそう。

鴻池新田会所は開発のはじまった1705年~1707年にかけて造営。最も古い建造物としては本屋座敷の1759年(宝暦9年)の棟札が残るそうですが、現在の姿は1997年(平成9年)の郷土資料館としての開館前に江戸時代後期(1853年頃)の姿への復元修復を経たもの。本屋・庭園の見学のほか、蔵の中では農具や解説パネルの展示があります。

敷地の東側には本屋座敷から眺められる池泉回遊式庭園があります。「大阪みどりの百選」に選定。
“弁天池”の中には船着き場があり、そして会所を囲む周壕へと繋がっていて、単に観賞用ではなく船でお米やその他を運んでいた当時の面影を感じる(建物手前の広めの平庭は積み荷を降ろすスペースも兼ねていたんだろう)。そして現在は東の方向にはマンションが目に入るけど、かつては生駒山の借景が眺められたとか。

ところで、今回訪れた時には本屋と庭園にそれぞれコスプレの撮影をされているグループが。10月・11月には「コスプレフェスタ」なるイベントも。きっかけはどうあれ若い人が歴史施設に足を運んでくれるのは嬉しいし(この時もその方々と自分だけ。他グループに迷惑が掛かるわけでもない)、アキバやコミケ等のような“聖地”に行かずとも、身近な古建築でコスプレをするようになった、という変化もあったりするのかなあ、なんて思った。共存共栄が良い!

(2021年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR東西線・学研都市線 鴻池新田駅より徒歩4分

〒578-0974 大阪府東大阪市鴻池元町2-30 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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