咸宜園Kangien ruins, Hita, Oita

“天領日田”で有名な重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”に関連する歴史スポット。江戸後期の“三大詩人”広瀬淡窓が開いた私塾の庭。

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咸宜園(咸宜園跡)について

「咸宜園」(かんぎえん)は“天領日田”でも知られる大分県日田市の国の重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”の外れに位置する江戸時代の私塾。「咸宜園跡」として国指定史跡で、水戸の弘道館、栃木の足利学校、岡山の国宝・旧閑谷学校とともに日本遺産『近世日本の教育遺産群』の構成文化財。

2022年2月の福岡遠征、今回は庭園じゃなくて町並みへ…と思い、先に紹介した『居蔵の館』『鏡田屋敷』の筑後吉井と同じく6年半ぶりに大分県日田市の豆田町の古い町並みへ。
城下町から派生し江戸時代には九州の交通の要衝として栄えた“天領日田”。正確に言うと重伝建・豆田町の範囲外ではあるのだけど、天領日田でも最も歴史的なスポットと言えるのが咸宜園。

“豊後三賢人”にも名が挙げられる儒学者で、頼山陽菅茶山と並び“三大詩人”の一人とも言われた広瀬淡窓が前身となる私塾『桂林荘』を創設したのは1805年(文化2年)。そののち場所と名前を変えた咸宜園はまだ階級が根強かった当時において、入門には経歴・身分・年齢・性別を問わず、全ての門下生を平等に教育したのが特徴のひとつ。

淡窓亡き後も10代の塾長に引き継がれ明治時代の1897年(明治30年)まで存続、約5,000人の門下生からは後の首相・清浦奎吾をはじめ、高野長英大村益次郎長三州帆足杏雨…など幕末〜明治時代に各方面で活躍した著名人を輩出。また三代目塾長・広瀬青邨は京都の『立命館大学』の前身となる私塾・立命館の創立にも関わりました。

現在の『咸宜園』にも江戸時代当時の建築の一部が良好に保存されています。敷地の最南にある茅葺屋根の“秋風庵”は江戸時代中期の1781年(天明元年)に広瀬淡窓の伯父で俳人だった広瀬月化が建てた居宅(の主屋)。後に淡窓が塾として利用することになりました。主座敷から眺める庭園は広くはないけれど、マンションの向こうに南の山並みを借景としている。

も一つ現存するのが元は1817年(文化14年)に建築された二階建ての“遠思楼”。淡窓が書庫・書斎として用いた建物で、南向きの二階の円窓からは主屋と同じように南の山並みの眺望が良かったんだろうなあ。その他、当時は招隠洞・心遠處・考槃楼・講堂・東塾などの建物が存在したそう。

園内にある『咸宜園教育研究センター』は咸宜園や広瀬淡窓、門下生に関する調査・研究の拠点として2010年に開館した施設で、内部ではその研究資料などが公開・展示されています。豆田町の古い町並みを訪れた際はあわせて立ち寄ってみて。

(2022年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR久大本線 日田駅より徒歩11分
日田駅からコミュニティバス「咸宜園前」バス停下車すぐ(*本数はそんな多く無い)

〒877-0012 大分県日田市淡窓2丁目4-2-13 MAP