圓徳院庭園

Entokuin Temple Garden, Kyoto

桃山時代、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が過ごした伏見城化粧御殿の面影を伝える枯山水庭園。“石組の名手”賢庭と小堀遠州作庭。国指定名勝。

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圓徳院庭園(旧円徳院庭園)について

「圓徳院」(えんとくいん)は豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が晩年を過ごし終焉の地となった場所に江戸時代初期に開かれた寺院。京都・東山を代表する寺院『高台寺』の塔頭寺院で、「ねねの道」を挟んで隣り合います。
庭園(北庭)は秀吉ゆかりの“庭の国宝”『醍醐寺三宝院庭園』を手掛けた賢庭が作庭に携わり、後に大名茶人・小堀遠州が改修したもので「旧圓徳院庭園」として国指定名勝。

2023年1月に約2年ぶりに拝観したのでその際の写真を更新。京都の紅葉の名所として人気の寺院・庭園の一つですが、冬に訪れるのも(人が少なくお座敷でゆっくり出来るのも含め)とても好きな寺院です。

寺院としての創建は1632年(寛永9年)ですが、その前身は1605年(慶長10年)に整えられた『高台院屋敷』。秀吉の没後に朝廷から“高台院”の号を賜ったねねが『高台寺』を建立するのに際し、その隣に自らの屋敷として伏見城化粧御殿を移築。あわせて現在の方丈(本堂)が建立され、そこから亡くなるまでの約20年間をねねはこの屋敷で暮らしました。

ねねの没後、甥で歌人としても知られる木下利房が「圓徳院」を創建。足守藩主・木下家の菩提寺でもあり、歌人・木下長嘯子としても有名な木下利房をまつる歌仙堂や、商売繁盛にご利益がある三面大黒天堂なども。

順路後半で見られるのが国指定文化財の“北庭”。化粧御殿とともに伏見城から移された桃山時代の庭園で、巨石による複数の石橋が『西本願寺大書院庭園』『旧徳島城表御殿庭園』でも見られる“桃山文化の豪快さ”が感じられる庭園。

伏見城に作られた当初は、各地の大名から献上された200以上の庭石を用いて“石組の名手”賢庭らにより築かれた池泉回遊式庭園だったそうですが、この場所への移築の際に縮小。小堀遠州により枯池式の枯山水庭園へと作り替えられました。
そんな石に見所のある庭園なのですが、もう一つの見所でもあるモミジが茂ってくると奥の石は見えづらくなるので――そういう意味でも冬〜早春や雨の日にもぜひ訪れて欲しい庭園。

この北庭の一角にはお茶室があり、週末限定でこの中で古田織部が秀吉にお茶を出す際に考案したというお点前と楽茶碗でお抹茶をいただくことも(+追加料金)。
茶室そのものは名前もなく出自も不明なのだけれど、移築されたのは江戸時代後期。お茶室側から庭園を見るとその石組の見え方にも新たな発見が。また茶室前の“檜垣の手水鉢”も伏見城から運ばれた特徴的な手水鉢で、京都検定に出題されたこともあるそう。

順路の最初に鑑賞できる枯山水庭園“南庭”は昭和を代表する庭園研究者・森蘊さんの指導により庭師・徳村宗悦さんが作庭したもの。この名前は実はここでしか見たことがないのですが…森蘊さんと共に古庭園の修復を多数手掛け、黄綬褒章も受章されている庭師・徳村盛市『庭匠植清』)さん?
また現在では現代京都の人気作庭家・北山安夫(北山造園)さんが御用達として庭園を管理・監修されており、中庭などは北山さんによる作庭とのこと。

その他にも長谷川等伯による襖絵が国指定重要文化財(今回は高精細複製が展示されていました)。ねねの道の人通りの多さを考えると、日と季節によっては意外と拝観者が少ない時もあり座敷で落ち着いて見られる名庭園。ぜひ立ち寄ってみて。

(2014年12月、2016年5月、2020年3月、2021年3月、2023年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪本線 祇園四条駅より徒歩13分
阪急京都線 京都河原町駅より徒歩15分
最寄りバス停は「東山安井」バス停 徒歩5分

〒605-0825 京都府京都市東山区高台寺下河原町530 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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