
源頼朝挙兵から幕末の黒船来航、明治維新まで700年間伊豆の歴史を担った名家・江川家…国指定重要文化財のお屋敷と千利休も訪れた"韮山竹"の竹林と庭園。
江川邸(韮山役所跡)について
【春・秋に「内庭」の特別公開あり】
「江川邸」(えがわてい)は静岡県伊豆市・韮山にある国指定重要文化財のお屋敷。江戸時代まで「韮山代官所」として用いられた建築が残るほか、「韮山役所跡」として国指定史跡でもあります。例年春・秋には室町時代に作庭?と伝わる内庭が公開。茶人・千利休も訪れ、花入を作ったと伝わる竹林を散策することもできます。
世界遺産『韮山反射炉』でも知られる伊豆・韮山地域。かつて、明治時代の廃藩置県後に存在した「韮山県」(伊豆全体+東京や埼玉にも飛地が!)の中心地でもありました。そんな韮山県の県令でもあり、江戸時代には幕府の代官職を世襲し、伊豆を中心とした幕府直轄領の支配を担ったのが「江川家」。
その歴史について。清和源氏の家系の一つ「大和源氏」の祖・源頼親(※平安時代の武将)を流れを汲む江川家(当初は宇野姓)。平安時代末期に伊豆へ移住すると、源頼朝の挙兵を助けた事をきっかけに伊豆を所領に。戦国時代には北条家に仕えますが、桃山時代の豊臣秀吉の小田原攻めの際には豊臣軍の徳川家康方についたことで、江戸時代に伊豆が幕府直轄領となって以降「伊豆代官」の役を担うことになりました(※伊豆のみならず、先述の「関東の飛地」も)。単純計算すれば、頼朝の挙兵から韮山県令を退任するまで約700年もの間、伊豆屈指の有力者だった…それが江川家。
代々「江川太郎左衛門」を名乗った当主の中でも、特に“名代官”として知られるのが36代目当主・江川英龍(坦庵)。幕末の「黒船来航」の頃に日本/幕府の海防政策や近代化に携わった中心人物の一人で、その計画によって完成したのが今日の東京のデートスポット「お台場」や世界遺産の『韮山反射炉』。2028年大河ドラマの主役・ジョン万次郎を幕府に登用した人物(上司)でもあります。また、日本で初めて「パン窯」を作りパンを焼かせた人物なんだそうで、現在の江川邸敷地内には「パン祖の碑」が立ちます。碑文が徳富蘇峰の筆なのがすごい…!
今日では「江川家住宅」として国指定重要文化財となっているこのお屋敷も、江戸時代には幕府の『韮山代官所』で、明治維新後は韮山県庁、県が変わった後も「韮山支所」として、伊豆の政治を担う公共な場でもありました。現在は「公益財団法人江川文庫」によって所有・管理されています。(尚、江川家は建築のみならず、長年火災から逃れられたことで古くから保存されてきた「韮山代官江川家関係資料」38,581点も国の重要文化財となっています)
…もうここまでの歴史だけでもお腹いっぱい!?な名家。隣接する天神山をのぞく平地面積だけでも、東西約150m、南北約200mの敷地面積をほこり、その中の7棟(主屋、書院、仏間、東蔵、肥料蔵、武器庫、表門)+附で数棟(北米蔵、南米蔵、裏門、鎮守社、土塀、板塀…など)が国指定重要文化財。大屋根が特徴的な主屋もめちゃくちゃ古く、室町時代に建築され、江戸時代初期(1600年過ぎ頃)や江戸後期にに改修、その姿を今日に伝えます。特に大屋根を支える小屋組みの架構を、昭和モダンな建築家・白井晟一も絶賛したとか。
主屋にも「中庭」がありますが、江川邸の主庭は春(GW頃)・秋に特別公開される「内庭」。主屋の南側に位置する書院の前の池泉庭園と、池の西側の韮山竹の群生のエリアで構成される回遊式庭園となっています。過去の一般公開の告知では「室町時代に造園された」とも。(主屋の建設と同時期?)
この庭園を訪れたと伝わる著名人が、千利休。
先述の、豊臣秀吉の小田原攻め。実は千利休はそれに同行していたそうで、その折に江川家にも訪れ、この庭園で自生する「韮山竹」(自然に割れ目が入る特徴を持つ竹)を気に入り、韮山竹で花入を作ったのだとか。その作品、竹一重切花入「園城寺」(利休の子、千少庵による命名)は現在東京国立博物館に所蔵。その竹林は今日でも景観が保たれ、また江川邸の韮山竹による花入は現代でも四代目・黒田宗傳さん(奇竹堂)が制作されていたりします。
歴史、自然、工芸…様々な情報、見どころのある江川邸。2028年の大河ドラマでもきっと注目されるはず!その前にも訪れてみて。
(2026年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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