
2026年、新たに国指定重要文化財に答申。“大倉財閥”創始者・大倉喜八郎が明治時代に造営した豪華絢爛な近代建築が、100年の時を経て氏の地元へと移築。
蔵春閣(旧大倉喜八郎別邸)について
「蔵春閣」(ぞうしゅんかく)は新潟県新発田市の玄関口・JR新発田駅から徒歩5分に位置する近代建築。「大倉財閥」の創始者/近代の実業家・大倉喜八郎が明治時代に東京・向島に造営した別邸(向島別邸)の一部で、千葉・船橋市への移築を挟み、2023年に氏の出身地である新発田市へ移築。2026年10月には国指定重要文化財(建造物)へ答申されました。
現「大成建設」「ホテルオークラ」「サッポロビール」をはじめ、数多くの企業を率い「大倉財閥」を創り上げた実業家・大倉喜八郎。企業以外にも神戸の『大倉山公園』、札幌の『大倉山ジャンプ競技場』、京都の“銅閣”(祇園閣)で知られる『大雲院』など各所にその名を残す、まさに近代を代表する実業家の一人…。
そんな氏の地元が新潟県新発田市。新発田の駅近には国指定文化財の大名庭園『清水園』が残りますが、駅から清水園へと向かう途中にある『東公園』内に、元は1879年に東京・向島に建てられた別邸の一部が移築され『蔵春閣』として公開されています。ちなみに、この『東公園』自体が、近代に喜八郎によって地元に贈られた公園(旧『大倉公園』)で、そのお向かいの諏訪神社の石鳥居も氏により寄贈された、ゆかりの空間でもあります。
その歴史について。大倉喜八郎が東京・向島に別邸を構えたのは1879年(明治12年)。この蔵春閣はそこから30年以上後の1912年(明治45年)の竣工で、それ以降、伊藤博文・山縣有朋といった歴代首相をはじめ、渋沢栄一や“安田財閥”安田善次郎、中国の革命家・孫文も訪れたと言われます。
しかし戦後の財閥解体の影響などで向島別邸は姿を消すことに。昭和時代中期には千葉県船橋市へと移築。中華料理店や「喜翁閣」という施設として活用。実は『ららぽーとTOKYO-BAY』の一角にあった喜翁閣も2006年に閉鎖されてしまいますが、移築を前提とした解体ののち、2020年~2023年に掛けて新発田市へ移築されました。そんな、近年移築が実現されたばかりの建築が国の重要文化財に答申された…という時点で、蔵春閣の価値・凄さを感じる…!?
まず、外観からしてデカい…唐破風屋根も迫力のあるその木造二階建て、高さ13.75mというのは一般的な二階建てよりもひときわ大きなサイズ。これで“一部”だなんて、元の向島別邸はどれだけ広大だったのか…。
外観は純和風建築ですが、内部は和洋折衷、そして所々“中華趣味”も見られる豪華絢爛な近代建築。1階の見所は2室ある食堂。いずれもキラキラの襖や欄間、そして格天井の天井絵…と「豪華絢爛」という文字でしか言い表せない。ちなみに欄間のデザインは徳川将軍家の霊廟「芝御霊屋」の彫刻がモチーフなのだとか。なお、説明映像も流れている方のお部屋の「五階菱崩し」の襖絵は、新発田藩主・溝口家の家紋「五階菱」が由来。近代には溝口家と婚姻関係となった大倉家は五階菱をロゴマークとしても好んで使われ、『ホテルオークラ』等でも採用されているそう。
中華趣味を感じさせるアーチをくぐって広い階段で二階へと上がると、今度は足元にモザイクタイル貼り(しかも大理石!)の廊下。豪華絢爛な建築にあって、ちょっとほっこりする鳥や花はかつて蔵春閣のあった隅田川沿いで見られた「都鳥」「桜」がモチーフなのだそう。
そしてその廊下からのぞむ2階の大広間は、変わったデザインの折り上げ格天井と、こちらも贅を尽くされたお部屋…。八角形と四角形を組合せたこの格天井は、豊臣秀吉の『桃山御殿』の「御成の間」を模したと言われています。東側にそびえる新発田の名山「二王子岳」の風景も◎!
道を挟んで隣接する『大倉庭園』には、大倉喜八郎が所蔵していた石塔が時を同じくして移築され、苔の美しいお庭の中でそびえています。近代の実業家の息吹が感じられる建築と庭園、ぜひ訪れてみて。
(2026年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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