葉山の海を望む画家・山口蓬春の旧邸は、吉田五十八の近代数寄屋建築と大江匡の現代建築、岩城亘太郎作庭の庭園と名匠揃いの最高の空間!
山口蓬春記念館(旧山口蓬春邸)庭園について
「山口蓬春記念館」(やまぐちほうしゅんきねんかん)は昭和の日本画家・山口蓬春が約23年間を過ごした自邸・アトリエに開かれたミュージアム。旧山口蓬春邸の増改築・設計を手掛けたのは“近代数寄屋建築”の巨匠・吉田五十八、庭園は昭和の東京を代表する作庭家のひとり・岩城亘太郎の作庭。また記念館開館の際に大江匡/PLANTECにより一部リノベーションされています。
関東住まいだった頃に行けてなかった吉田五十八建築…コロナ禍はそれがずっと心残りだった…。2021年10月に初めて訪れました!ようやく!念願!
2022年11月追記:2022年11月に国登録有形文化財に答申されました!
1965年に文化勲章を受章、文化功労者として皇居新宮殿の杉戸絵を手掛けた日本画家・山口蓬春。その晩年、1948年〜1971年に亡くなるまでの23年間を過ごしたのが相模湾を見下ろす葉山の高台の自邸。
山口蓬春と吉田五十八は東京美術学校(現・東京藝術大学)の同期で、この邸宅以前に東京・祖師谷にあった山口蓬春邸も吉田五十八が設計を手掛けていました。
葉山のこの家も、売りに出された既存の木造建築(昭和初期)を吉田五十八の助言で山口蓬春が購入、その後吉田五十八による複数回の増築により“新画室”や内玄関・茶の間などが整えられました。施工は水澤工務店。
蓬春の没後も春子夫人によりその空間は守られ、その意志を引き継ぐ形でJR東海が設立した“JR東海生涯学習財団”が邸宅・庭園に所蔵作品を譲り受け1991年(平成3年)に『山口蓬春記念館』が開館。その際に大江匡・プランテックアソシエイツにより一部がリノベーション、エントランスや受付前の現代的なフレームや園路がその際に手掛けられたもの。
展示収蔵室では山口蓬春の作品が季節ごとに展示されているほか、新画室の竣工60周年を迎えた2014年から吉田五十八の増改築部分の公開がスタート。一部の室内(桔梗の間・茶の間)は廊下から眺める形にはなるけれど、そのスタイリッシュな近代和風建築も堪能することができます。
いやしかしほんと、吉田五十八が手掛けた邸宅ってなぜこうも素敵なのか…?葉山の眺望が贅沢な2階の旧画室は既存のものだとしても、新画室の広く開放的な窓なんか最高だし(目の前の紅葉の枝ぶりがまた良い)、障子窓、内玄関〜茶の間まわりの「あー吉田五十八だ!」って感じの近代数寄屋デザイン。
そして部屋自体は既存だけど、半分の高さの障子から露地庭を望む、小堀遠州『孤篷庵』の“忘筌”オマージュの桔梗の間…うーん最高!(元の玄関〜桔梗の間〜新画質→からの庭園の眺め…という位置関係も孤篷庵っぽいんですよねぇ)
吉田五十八による増築がひと段落した後の1960年(昭和35年)に現在見られる庭園が整えられました。作庭を手掛けたのは岩城造園・岩城亘太郎。この両者は静岡・御殿場の『東山旧岸邸』でもタッグを組んでいます。
庭園空間としてはざっくり言うと3箇所あり、
①新画室の前に広がる芝生と植栽が主体の主庭園、
②新画室の裏手にある白砂と苔・紅葉、そして真黒石っぽい黒石による直線的な延団がモダンな枯山水庭園、
③桔梗の間の前の露地庭園。
中でも地形を活かした開放的な主庭園には伊東深水から贈られた豊後梅、橋本明治より貰い受けた苗から育った福島県三春町の滝桜(枝垂れ桜)、徳川慶喜の孫・徳川慶光に譲り受けた『高松宮別邸』にあったミモザアカシア、そして春子夫人が好んで手入れした草花など様々な植物が植えられ、それらは時には山口蓬春の作品のモチーフにもなりました。
純粋な日本庭園とはちょっと違うけれどほんと良い――なお現在は美しく整っているこの空間も、ちょっと前までは元々の樹木が育ちすぎて雑木林化してしまい景観を損なっていた…らしく、2015年に岩城によって「元の姿に近づけられた」のが現在の庭園。そのBeforeの状態も見て比べたい…邸宅からの美しい眺めもお手入れあってこそ!
主庭園から見た時の三ヶ岡の山並みのスケールも素晴らしくって、ランドスケープ・庭園に溶け込む邸宅へ仕上げるセンスが吉田五十八はほんとうにすごいです、最高です(小並感)。吉田五十八のそれはもう知識じゃなくてセンスの域な感じ…。はあ早くまた行きたい…!
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)