
北大路魯山人も縁ある"七本槍"で知られる日本屈指の老舗酒蔵に、近代滋賀の庭師"植宇"布施宇吉が作庭の美しいお庭。国登録有形文化財。【庭園は通常非公開】
冨田酒造について
【庭園・主座敷は通常非公開】
「冨田酒造(とみたしゅぞう)は滋賀県長浜市の北部、北国街道の宿場町・木之本宿で室町時代/戦国時代より続く老舗の酒蔵/造り酒屋で「七本槍」の銘柄で知られます。その建築(主屋)は江戸時代中期から残るもので国登録有形文化財。近代〜昭和を代表する美術家・北大路魯山人ゆかりのスポットでもあり、通常非公開ですが美しい庭園もあります。
戦国時代の真っ只中、1534年(天文3年)創業とされる日本屈指の「老舗」冨田酒造さん。ショップ部分は普段から公開されていますが、建築内部や庭園は通常非公開。2026年、大人の寺子屋『大津 余白』の講義・イベントにて特別に見学させていただきましたので、その歴史的庭園の様子を紹介。
その歴史について。造り酒屋を営まれる以前の冨田家は元々は近江国守護・京極家に仕えた武家だったそう。戦国時代に京極家が没落すると、この木之本の地で帰農。
江戸時代に入ると木之本は『木之本地蔵院』の門前町としてのみならず北国街道と北国脇往還が交わる宿場町となり、交通の要衝として発展。冨田家は家業(酒蔵)に加えて庄屋などの村役人をつとめる家柄に。明治維新後も町長を輩出するなど地域を支えてきた名家。代表銘柄「七本槍」は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の部下として「賤ヶ岳の戦い」で活躍した「賤ヶ岳の七本槍」がその由来。(加藤清正・福島正則・片桐且元ら)
現在の主屋は1744年(寛保4年)頃の建築とされ、現在も多くのレトロ建築が残る(国登録有形文化財がいくつもある)木之本宿の中でも屈指の歴史的建造物。お向かいの本陣『竹内家住宅』とともに往時の木之本宿の雰囲気を伝えます。
近代に入ってから、この冨田酒造に出入りしていたのが若手時代の“福田大観”だった頃の北大路魯山人。「七本鎗」の額を残しました。
通常非公開の庭園について。主座敷から眺める、池泉を中心とした回遊式庭園。苔むした中に飛び石が配され、手前の手水鉢と最奥に見える春日燈籠を見ていると、少し京都の大型町家の雰囲気にも似ているけれど、座敷から見て正面奥に見える巨大な自然石を築山として活かしている所や、“琵琶湖を表現した”という池泉はこの庭園ならでは(現在は枯池ですが、以前は山からの水が流れ込んでいたそう)。なお先述の大きな春日灯籠は京都の近代邸宅のお庭でもたびたび名前の挙がる名工・西村嘉兵衛の作。
庭園も美しいですが、目を挽くのは主座敷から見て左手側にある赤壁と円窓、中国趣味の窓が目を惹く近代和風建築。こちらは大正時代に増築されたものだそう。その雰囲気が、長浜の中心部にある『北国街道 安藤家』ととてもよく似ている…同じ庭師なのでは、と思ったら、滋賀・長浜の古庭園をまとめた書籍『ながはまのお庭』にはやはり「植宇」(近代の長浜で活躍した庭師・布施宇吉)のマークがついていました。安藤家も北大路魯山人が逗留したお屋敷。北大路魯山人、布施宇吉、そして長浜のパトロン同士という人間関係も見えてきます。
またこの主座敷を抜けた先には三階建の和風建築「瓦全閣」も。こちらも近代に建てられた文化財級の建築…施主や客人はその上層階から山々や琵琶湖の景観を楽しんでいたのでしょう。後世に伝えたい、日本屈指の老舗の建築・庭園…!
(2026年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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