皇族庭園を数多く手掛けた造園家・福羽逸人も絶賛の“武庫離宮”が前身の都市公園。在原行平ゆかりの月見台も。
須磨離宮公園(旧武庫離宮庭苑)について
「須磨離宮公園」(すまりきゅうこうえん)は大正時代に造営された皇室の別荘『武庫離宮』を前身とする広大な都市公園。東京『新宿御苑』、『赤坂離宮』など他の皇室関係の庭園にも携わっていた近代の造園家(であり、園芸のパイオニア)・福羽逸人が庭園の設計を担当。日本の都市公園100選。
何度も書いているんですが、「近代に経済的に繁栄し豪邸の多いイメージのある神戸には、当時作られた立派な庭園があるはず…」(国指定名勝で言うと『安養院庭園』だけなんだけど、それで収まっていいはずがない)。その代表格的存在がここ!2年程前に西桂さんの『ひょうごの庭園〜図絵で読み解く〜』に出会ってからずっと行きたかった。ようやく初訪問。
瀬戸内海を眼下に見るこの場所は古くから景勝地として知られ、平安時代には付近に居宅を構えた(京都から移り住んでいた)貴族・在原行平(在原業平の兄)がこの場所で月見をしたことを歌に残しました。そこから名づけられた“月見山”の名は駅名にもなっています。園内には行平ゆかりの“行平月見の松跡”の碑や、復元された四阿“傘亭”も。
明治時代にはこの地に浄土真宗本願寺派22世・大谷光瑞がこの場所に『西本願寺月見山別邸』を構えました。著名な別荘『二楽荘』を建てる以前の話。そしてその場所を宮内庁が買収し、明治天皇の別荘地として明治後半(明治44年)に着工。その後、大正3年(1914年)に完成し、大正天皇、昭和天皇、“ラストエンペラー”こと清の溥儀皇帝らが滞在したことも。
その後は太平洋戦争の空襲により建造物の多くを焼失。1967年(昭和42年)に神戸市に下賜されるとともに整備され、都市公園として開園。なお公園としては道路を挟んで隣接する『須磨離宮植物園』と一つですが、“岡崎財閥”の邸宅を買収して後から開かれた植物園については別途紹介します。
現在の公園のメインは、公園としての開園に伴って作庭された欧風の噴水庭園。そのシンメトリーな西洋式庭園というデザインな一方、階段上のテラスからは“借景”のごとく海の風景を見下ろす姿を西桂先生は“日本風景式庭園”と称されています。
その庭園デザインとともに、離宮だった歴史にちなんで設けられているのが「王侯貴族のバラ園」。自分が訪れた時はまだ見頃はこれから…という感じだったけど、春・秋には約200種・4,000株の薔薇の名所として知られるそう。
で、離宮時代の面影というのもけっこう残っており、正門〜馬車道、建造物として焼失を免れ現存する中門と潮見台。そして馬車道や潮見台の斜面沿いに組まれた石組“装石”などについては園内に説明板がもうけられていて、添えられた古写真や古い資料からかつての姿を窺い知ることができます。
なお元々“池泉回遊式庭園”“枯山水庭園”みたいなザ・日本庭園があったわけではないみたい。月見台から「天皇も利用した」という急階段を下ると“新池”という現在はハナショウブ園になってる回遊式庭園があります。
作庭者である福羽逸人は武庫離宮について《各所に離宮・御用邸ありといえども、武庫の如き風景佳絶なるは無し》という言葉を残してます。“庭園様式”というテクニカルなことよりも、周囲の山々と海の風景という“場”を第一にこの庭園は造営されたのだろうなあ、と感じさせられる。
で、“新池”付近からは須磨離宮植物園の『旧岡崎邸庭園』へと続きます!
(2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
山陽電鉄本線 月見山駅より徒歩8分
JR神戸線 須磨海浜公園駅より徒歩15分強
須磨駅より路線バス「離宮公園前」バス停下車すぐ
〒654-0018 兵庫県神戸市須磨区東須磨1丁目1 MAP