
築山のもこもこ感に癒やされる…!江戸時代、肥後熊本藩主・細川家の代々により造営された大名庭園、通称“水前寺公園”。国指定名勝。
水前寺成趣園(水前寺公園)について
「水前寺成趣園」(すいぜんじじょうじゅえん)は肥後熊本藩主・細川氏の代々によって江戸時代に造営された熊本の大名庭園。熊本城に次ぐ熊本市の歴史的なスポットで、“ランドスケープの国指定重要文化財”こと国指定名勝に選定。地元の方々には「水前寺公園」の通称で親しまれています。
数ある大名庭園の中でももこもこした築山が特徴的で、高松の『栗林公園』や鹿児島の『仙巌園』等とともに、“日本三名園”に劣らない大名庭園の一つ!これまで何度も訪れています。(2024年の春・冬に訪れた際の写真を追加して改めて紹介)
その歴史について。『熊本城』を築いた加藤清正に次いで熊本藩主となった細川忠利が1632年(寛永9年)この地に『水前寺』と御茶屋を築いたのがその始まり。
熊本は古代から「火の国」と呼ばれた一方で、熊本市内は阿蘇山系の伏流水による湧水が豊富な地域でもある。現在の庭園の大部分を占めるこの池泉も湧水池(『旧砂取細川邸庭園』の面影残る江津湖も)。御茶屋の場所として選ばれたのもこの池泉が理由の一つだったとか。
大名庭園として本格的に整備/作庭されたのは三代目藩主・細川綱利の代で、1671年(寛文11年)には現在とほぼ同規模の庭園が完成。10,000平方メートルある池泉を中心とする築山泉水式庭園で、築山の中でもひときわ大きな築山は富士山を、そして庭園全体では東海道五十三次の風景を表しているそう。
綱利自身によって“成趣園十景”も定められ(阿蘇白煙/龍田紅葉/瀬田山雲/国分晩鐘/前林梅花/飯田夕陽/厳泉清流/健宮杉嵐/水隈乱螢/松間新月)、中国の詩人・陶淵明の詩にちなんで成趣園と名付けられたのもこの頃。
最盛期には庭園の周りに多くの建築(御茶屋や四阿など)があったそうですが、その後の藩政改革で大部分が撤去。明治維新後には細川家の手からも離れますが、現在は明治時代にこの地に創建された『出水神社』の神苑として多くの観光客の憩いの場となっています。
『出水神社』についても。肥後熊本藩主・細川家の歴代(細川藤孝/細川忠興/ガラシャも)をまつる神社として1878年(明治11年)に創建。当初の建築は太平洋戦争で焼失、現在の社殿は戦後の1973年(昭和48年)に再建されたもの。園内の一角には出水神社としての能舞台があり、春・秋の大祭には神事能が奉納されるそう。
そして!庭園の最大のビューポイントの一つが『古今伝授の間』。古くからこの場所にあるかのような茅葺屋根の数寄屋風建築ですが、元々は京都(の更に『京都御所』!)にあったと言われる建物で、1912年(大正元年)にこの庭園へ移築。『桂離宮』の造営者としても知られる八条宮智仁親王の文芸の師は細川藤孝(細川幽斎)で、幽斎が智仁親王に古今和歌集の奥義を伝授された建物――と伝わることから『古今伝授の間』と命名されました。なんかそう思うと成趣園と桂離宮って雰囲気似てるような気がするな…。ぜひ、この座敷で一服して庭園を眺めて欲しい。
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2016年の熊本地震の後、“成趣園の誇り”とも言われた自然の湧水が一時的に湧かなくなった…という現象もありましたが、その後は回復。現在はすっかり復興した姿を見せてくれています。
ただ、入場者数は減少傾向にあるそうで、昭和・平成のピーク時の数分の一、熊本城の1/4程度とのこと。そんなに差があるのは市街地から少々離れているから…?…と言っても市電で15分程度なので言う程遠くはないので、今後再びより多くの人に愛されてほしい庭園!
(2010年2月、2015年10月、2016年12月、2018年12月、2024年4月・12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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