佐賀県立博物館 茶室「清恵庵」

Saga Pref. Museum Tearoom “Seikeian”, Saga

昭和の巨匠・堀口捨己が最後に手掛けた茶室は、旧佐賀城の堀や樹木をお庭に見立てた“庭屋一如”な茶室。神野公園“隔林亭”作者・早川正夫が共同設計。

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佐賀県立博物館 茶室「清恵庵」について

【茶室の見学(平日のみ)は要事前予約】
「佐賀県立博物館」(さがけんりつはくぶつかん)はかつての肥後国佐賀藩の中心『佐賀城』の城趾(三の丸跡)にあるミュージアム。『佐賀県立美術館』も隣接。旧佐賀城の南堀にせり出す茶室『清恵庵』(せいけいあん)は昭和の著名な建築家のひとり・堀口捨己とその高弟・早川正夫による設計で、堀口捨己の遺作となる建築でもあります。

ずっと訪れたかった清恵庵。市民向けの貸出の他に、【平日かつ事前予約制】で見学も可能(予約無し、土日の見学は不可)。2024年初めて見学させていただいたので紹介します。

かつての佐賀城の跡に開かれた都市公園『佐賀城公園』。石垣や堀の姿とともにその歴史を伝える『佐賀城本丸歴史館』のほか、県立図書館、県立博物館・県立美術館などが建ち、また一帯には佐賀県庁や法務局など官公庁も所在します。公園は日本の都市公園100選や日本の歴史公園100選にも選定。

そんな佐賀城公園内に、1970年(昭和45年)明治百年記念事業として開館した「佐賀県立博物館」。特別史跡『吉野ヶ里遺跡』の出土品(国指定重要文化財)をはじめとする多くの所蔵品から、考古・歴史/美術・工芸/民俗/自然史の各分野を常設展『佐賀県の歴史と文化』の中で展示、紹介されています。
またその建築も評価が高く「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定。「プレグリッド・システム」と呼ばれる構造のRC造のモダンな建築の設計は高橋靗一(第一工房)/内田祥哉で、竣工当時も1971年の日本建築学会賞(作品賞)を受賞。

博物館開館から3年後の1973年(昭和48年)に上棟したのが茶室『清恵庵』。「リコー」(リコー三愛グループ)創業者/実業家・市村清(佐賀市出身)の遺志を受け、夫人の市村幸恵さんにより県に寄贈されました。
設計は堀口捨己・早川正夫。早川正夫さんは同じく佐賀市内にある藩主・鍋島家ゆかりの庭園『神野公園』(神野御茶屋)に復元された茶室「隔林亭」の設計者でもあります。

立地もその特徴の一つ。茶室が面する旧佐賀城の堀もお庭の一部に見立てられている。茶室を隔てる竹の生垣の外の公園部分を外露地として、庭門の先が内露地として構成。茶室の建設以前から公園内に育っていたムクの木とナンキンハゼが主木だそうで、大きな手水鉢は乃木稀典大将遺愛の品と伝わるもので、こちらも市村家から寄贈されたものだとか。堀には茶室への船着場も設けられています。

建物は堀に面する開放的な7畳半の広間と四畳半の小間、そして水屋・寄付で構成されています。広間も小間も伝統的な作りは抑えつつ、天井の照明や180度に巡らされた和紙が茶室を明るく演出していてとてもモダン…!その開放的な作りは、お茶会だけでなく様々な和の催しが意識されたものでもあるそう。
『八勝館』『万葉亭』に加えてこのお茶室…堀口さんは池・空中にせり出す和風建築に理想を覚えていたのかな。(そして、各種情報から建築だけでなく庭園もセットで考えていたことが窺い知れます)

2024年には国立近現代建築資料館でも回顧展が開催されていた堀口捨己さん。その貴重な建築の一つ、ぜひご予約のうえ訪れてみて。
また博物館の附属施設として、佐賀出身の近代洋画家・岡田三郎助がアトリエ/応接室として用いていた大正時代の洋風建築を移築・活用する形で開かれた『岡田三郎助アトリエ』や、ごく近年に東京で発見され国指定史跡となった『高輪築堤』の再現展示も!

(2024年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR長崎本線・唐津線 佐賀駅より2.5km(徒歩35分)※市内にシェアサイクルあり
JR佐賀駅より路線バス「博物館前」バス停下車 徒歩3分

〒840-0041 佐賀県佐賀市鬼丸町1丁目15 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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