凌寒荘(佐佐木信綱旧居)

Former Sasaki Nobutsuna Residence, Atami, Shizuoka

近代〜昭和の文学者/歌人・佐佐木信綱の旧居&昭和の洋画家・宮本三郎が別荘兼アトリエとした近代和風建築。佐佐木が研究に取り組んだ“万葉集”にちなんだ庭園も。

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凌寒荘(佐佐木信綱旧居)庭園について

【土・日のみ公開】
「凌寒荘」(りょうかんそう)は近代〜昭和年代に活躍した文学者/歌人・佐佐木信綱が晩年を過ごした旧宅。かの『万葉集』を研究する学者“万葉学者”の近代における第一人者である氏にちなんで、万葉集で歌われた草花による庭園が残ります。また昭和に活躍した洋画家・宮本三郎の旧別荘/アトリエでもあります。

近代〜昭和に多くの著名人が居をかまえた別荘地・熱海。その代表格『起雲閣』には何度も訪れていたけど、他にもあるはずだよなと思い…その中で(別荘をルーツとする宿泊施設ではなく)一般公開されている施設の一つが来宮駅の程近くに残る『双柿舎』(坪内逍遙旧居)とこの『凌寒荘』。2022年秋に初めて訪れました。

歌人/国文学者として第一回の文化勲章も受章された佐佐木信綱。過去に何度か名前を挙げたけど、熱海に近い場所では湯河原の『万葉公園』の命名者でもある。また国内のさまざまな学校の校歌の作詞も手がけていて、熱海市立熱海中学校、磐田市立福田小学校/中学校の氏によるもの…など静岡との縁も。

1944年(昭和19年)72歳の時に転居して以降、91歳で亡くなられるまでの約20年間を過ごしたのが熱海のこの旧居。温暖な熱海を選んだのは病気の療養に加え、先述の坪内逍遙が《晩年でも仕事がはかどるのは熱海に居るおかげ》と話した影響もあったとか。

元は友人の西原民平の別荘だったこの平屋、「凌寒荘」の名は同じく昭和を代表する文人であり信綱の友人だった徳富蘇峰の命名で、中国の文人・王安石の詩の一節から取られたとか。見学の際は建物の内部には入れませんが、外からその良質な近代和風建築を鑑賞したり庭園を散策することができます。

その庭園は「万葉集」に詠まれた草木による庭園“野草の苑”。主屋の前には苔むした庭が、そして階段を降りると枯池になっている心字池の庭園が(以前は水が張られていたそう)。ちなみにこの先には裏道のような路地があって、谷崎潤一郎の旧宅『潤雪庵』(非公開)に通じているとか…!

そして。凌寒荘の平屋と繋がっている2階建てのレトロモダンな建築。こちらは佐佐木信綱が亡くなられた後にこの邸宅をアトリエ兼別荘として所有した宮本三郎により増築されたもの。
現地の解説板やいただいた凌寒荘の解説プリントではあまりこの方については触れられていないのですが(口頭でおっしゃってた)、『世田谷美術館』の分館や地元の石川県小松市に個人美術館が創設されている昭和の有名な画家。これもまた昭和の和洋折衷の時代って感じがして良いし、2階からの眺めは絶景だろうなぁ。

近年「ボランティアスタッフの高齢化により運営が困難に」とのニュースもあった凌寒荘。佐佐木信綱や宮本三郎にピンと来ない方でも、ぜひ熱海の別荘建築を見に訪れてみて。

(2022年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR伊東線 来宮駅より徒歩10分
JR東海道新幹線 熱海駅より徒歩25分
JR熱海駅より路線バス「日本鋼管前」バス停下車 徒歩3分

〒413-0034 静岡県熱海市西山町12-18 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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