中田氏庭園(中田家住宅)

Nakata House's Garden, Matsumoto, Nagano

明治天皇行在所にもなった屋敷に江戸時代から残り、昭和年代に重森三玲により修復された庭園。長野県指定名勝。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

中田氏庭園・中田家住宅について

【見学は要予約】
「中田家住宅」(なかたけじゅうたく)は松本市の市街地、善光寺街道沿いにあり明治天皇の行在所となった名主屋敷。建物は松本市の重要文化財、その庭園「中田氏庭園」は長野県指定名勝となっています。
現在もお住まいになられているので、庭園およびギャラリーの見学は事前に松本市の文化財課を通じて予約が必要です。

いきなり話が飛びますが――自分が各地の庭園を巡るきっかけの一つに『推しのサッカークラブのアウェーでの試合』があります。というか、それが一番大きい。
2019年は松本山雅がJ1へ昇格を果たし久々の対戦があったので松本へ行こうとは早々に思っていたのですが、肝心の推しのクラブの調子が良くなくてですねー…遠征行くかどうかめちゃくちゃ迷ったのだけれど、「行くとしたらこの庭園は絶対見たい!」と思っていたこの庭園の予約が取れたので、それを踏ん切りとして行くことに(笑)(なお試合も勝ったので非常に実りある遠征に…)

松本と言えばなんと言っても国宝・松本城。城下町として栄えた歴史ある街――なので歴史的な日本庭園もあってもなんの不思議もないのだけど、有名な観光スポットとしては、無い。
この庭園もあくまで個人のお宅ということもあり松本の中心部を紹介する観光パンフレット等には載っていないはずで――なので自分もこれまで何回か松本を訪れた時は知らないまま行動していた。その後この庭園を知ったきっかけは多分各都道府県の「県指定名勝」を調べている中で。

中田家は古くは甲斐国・武田氏に仕えていた武家。しかし武田軍の滅亡に伴って松本に留まり、その後は松本城主を務めた小笠原家、戸田家に仕えました。江戸時代からは武家ではなく帰農し当地の名主・大庄屋となり、併せて酒造業を営んでいたそう。
重厚な玄関からもその格式の高さが伝わってくるお屋敷は本棟造の主屋が明治時代の建築。その改築の際に元の建物から残された書院は江戸時代初期、貞享年間(1684~88)頃の建築とされています。違い棚や欄間など様々な意匠からも迎賓の為という雰囲気を感じますが、実際「御殿」とも呼ばれ、藩主の休憩所となったり、明治天皇が休息されたのもこちら。

そして主屋、書院に面した県指定名勝の庭園は書院の完成と同時期(江戸初期)〜江戸時代中期にかけて作庭されたと推定されています。回遊できるような園路もありますが、この書院や主屋から見下ろす形の鑑賞式庭園――といった印象も受けます。昭和年代に重森三玲さんらによって一部修復を経たのが現在の姿で、奥の築山の周辺の石組も見所!

ちなみに――いただいたパンフレットの写真では亀島・鶴島には苔が張られていたのですが、「松本は冬には乾燥して(意外と)雪が積もらない地域だからなのか、苔を張ってもいつも枯れてしまう」らしく、現在は土が見えています。言われなければそういう島なのかな〜という印象で個人的にはそんなに気にならないのだけど…なお現在は松本でも育つ苔を現在探されているそう。

またこの大きな主屋にはかつて養蚕もされていたという2階フロアも。近年その場所をギャラリーに改修し、中田勝康さんによる日本庭園を中心とした写真パネルが展示されています。
なお『重森三玲庭園の全貌』を出版されている中田勝康さんはこの中田家の出身。ご当主の奥様には中田家の話、庭園の話、重森三玲さんが訪れた際の話(重森三玲の書なども部屋に飾られていました)やそして信州の豪農のお話――など色々貴重な話を伺いました。感謝申し上げます。この後行った国重文『馬場家住宅』はここで話を聞かなかったら行ってなかった…!

(2019年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR篠ノ井線 南松本駅より徒歩約15分
JR篠ノ井線 松本駅より約2km(徒歩25分。街中にレンタサイクルあり)
松本バスターミナルより路線バス「出川局前」バス停下車すぐ

〒390-0827 長野県松本市出川2丁目23-4 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。