旧島津氏玉里邸庭園

Kyu-Shimazu Tamazato-tei Residence Garden, Kagoshima

茶室がなじむ薩摩藩主・島津氏のもう一つの大名庭園。江戸時代後期に島津斉興が造営、明治時代に島津久光も暮らした別邸の国指定文化財庭園。

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旧島津氏玉里邸庭園について

「旧島津氏玉里邸庭園」(きゅうしまづしたまざとていていえん)は薩摩藩主・島津氏が江戸時代後期に造営した別邸『玉里邸』(玉里島津邸)に作庭された大名庭園。かつてのお屋敷の大部分が現在は「鹿児島市立鹿児島女子高等学校」の敷地となっていますが、現存する庭園の一部(“下御庭”)と茶室が一般公開されています。

鹿児島および島津氏の大名庭園と言えば『仙巌園』(磯庭園)が有名。仙巌園と比べると観光地としての知名度は低い(あまり観光地化されていない)ものの、この玉里邸庭園も2007年に国指定文化財(国指定名勝)となりました。市内中心部からは約3km、仙巌園は約5km程の距離。

その歴史について。江戸時代後期の1835年(天保6年)、鹿児島城跡(城山)の北麓の地に島津氏27代目当主/薩摩藩10代藩主・島津斉興により別邸が造営。その子で明治維新のキーパーソンのひとり・島津久光も晩年このお屋敷を本邸とし、自ら分家「玉里島津家」を興しました。

明治維新後も島津家のお屋敷として用いられたものの、1945年に太平洋戦争の戦災により焼失(それ以前にも西南戦争によって明治10年に焼失。その後島津久光によって再建)。戦後に鹿児島市が敷地を買収し、鹿児島女子高等学校の敷地に転用されました。
しかし庭園と建物の一部は戦災を免れ、また学校敷地となって以降も保存され、公開エリアの表門(通称「黒門」)と茶室以外にも、学校敷地内に武家長屋・長屋門が現存しています。いずれも鹿児島市指定有形文化財。

かつて存在したメインの御殿屋敷(の書院座敷)から鑑賞する為のお庭として作庭された“上御庭”と、池泉回遊式庭園“下御庭”からなる玉里邸庭園。ここでは公開されている“下御庭”について紹介。

黒門から入場すると、さっそく池泉“鶴の池”を中心として、茶室越しに山の借景をのぞむこの庭園のビューポイントのひとつに。その地点から東側、斜面の上部へ登ると庭園の姿を一望することができます。南側から見て手前にある石灯籠も独特でエキゾチックなデザインですが、本州の作風(いわゆる京風)とは異なる印象の石灯籠や奇石・巨石が多いのがこの庭園の特徴の一つ!

池の北側、鶴の池を正面に眺められる場所に、明治時代に久光により再建されたお茶室が建ちます。こちらも庭園のビューポイントの一つで、市民によるお茶室利用が無い際には内部の見学も可。
その茶室の東袖に、鶴の池へ水が注がれる滝口~流れがあります。桜島?を表したかのような三角に尖った巨石、角度を変えてみると薄い石の板。いわゆる「滝石組」もこの地域…島津氏の庭園ならでは、と感じる点が多くて面白い。

これまで冬にばかり訪れているけれど、また新緑や紅葉の季節にも訪れたい!
なお、『上御庭』の一部も高校の敷地内に現存。そちらは通常非公開ですが、稀に特別公開が行われています。地域の方は鹿児島市のHP等で情報をチェックして足を運んでみて。

(2013年2月、2017年12月、2025年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR九州新幹線 鹿児島中央駅より路線バス「女子高前」バス停下車 徒歩1分
JR鹿児島中央駅より約3.5km(市内のレンタサイクルで15〜20分程度)

〒890-0012 鹿児島県鹿児島市玉里町27-20 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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