鹿児島県民教育文化研究所(旧藤武邸)庭園Kagoshima Prefectural Institute of Education and Culture’s Garden, Kagoshima

2022年に歴史に幕を閉じる鹿児島の貴重な近代和風建築…洋間や数寄屋風の職人技が光る和洋折衷の建築に、桜島を借景とした庭園も!

庭園ギャラリーGarden Photo Gallery

鹿児島県民教育文化研究所(旧藤武邸)庭園について

【要事前連絡/2022年9月で閉館】
「鹿児島県民教育文化研究所」(かごしまけんみんきょういくぶんかけんきゅうじょ)は江戸時代に薩摩藩主・島津家の支族“重富島津家”篤姫の母方の上屋敷跡に建つ近代和風建築。施主の名前から『旧藤武邸』とも称されます。その主屋・土蔵が国登録有形文化財で、桜島を借景とする池泉回遊式庭園も。見学には要事前連絡!

2022年1月に初めて見学させていただきました…が、この8月に《9月に閉館/年内に解体》との報道が。
観光スポットでは無いし実際に老朽化の様子も伺えたのですが、鹿児島市内で空襲の被害を免れた貴重な近代和風建築…その姿を記録として紹介します。

JR・鹿児島市電の鹿児島駅の北側。西郷隆盛を祀る『南洲神社』へと至る南洲門前通り沿いに建つ鹿児島県民教育文化研究所。土蔵の姿も見える印象的な石塀は鹿児島市景観重要建造物にも指定。隣接する大龍小学校を挟んだ場所には“今和泉島津家”の上屋敷もかつて存在するなど、この一帯は島津家や上級武士のお屋敷街でした。(今もその面影がある)

現在のこのお屋敷が建てられたのは昭和初期の1937年〜39年(昭和12〜14年)にかけて。“藤武呉服店”を営んだ呉服商・藤武喜助の邸宅として、宮大工・渕之上喜助の設計/施工で建築されました。
建設費は当時で2万円、現在の貨幣価値で3億円!その時代のお屋敷らしく玄関を上がるとサンルームのある洋室(応接室)があり、迎賓館としての性質も兼ね備えていた様子がわかります。(現在は事務所として使われてるので写真は無し…)

戦後の1947年(昭和22年)から割烹『春日園』として営業。その時代には先の洋室はダンスパーティーの場にもなったとか。
1960年(昭和35年)に特例財団法人鹿児島県教育会館維持財団の所有となり、鹿児島の離島や地方の教職員/児童・生徒の宿泊所“春日寮”として活用されました。

現在の「鹿児島県民教育文化研究所」になったのは1981年。40年続く研究所としての歴史が一番長いけれど、建物内部は建築当初の様子を多く残しています。10畳+14畳の大広間とその隣の数寄屋風の茶の間?からは南側に面する庭園を広く眺められる。廊下にも所々数寄屋風の意匠があり、中でも2階への階段が船底天井〜網代になっているのがおしゃれ…!

そしてL字型にぐっと突き出た、かつて藤武夫妻の過ごした居室。ここがまたすごい。数寄屋風の意匠はもちろん、東向きに180度庭園を見渡した先には桜島の借景が…!
この居室でもう一つ気になったのは、書院の窓の下部にある戸。桜島の近いこの木造邸宅、普通に過ごしていてもどこかから火山灰が室内に入り込み堆積してしまうそうで、掃除の時に逃しやすい工夫がされている。この地域ならではのお屋敷の造り。

建築も大きいけれど、建築当時から残る昭和初期の庭園も広い。緩やかな傾斜の芝地の中に曲線を描いた池泉(現在は枯池)がもうけられた池泉式日本庭園。
お屋敷に面した靴脱石をはじめ巨石・奇石が配されている所から庭園もかなり力の入った…まさに“庭屋一如”のお屋敷だったと感じられるし、霧島市の『旧田中家別邸』ともまた違う独特の琉球風?奄美風?の石灯籠も。

サンルーム前の洋風のテラスの石張りや居室まわりの石張りは神戸の“”の『旧岡崎邸』『旧木下家住宅』ぽいな〜と個人的には感じる。九州の近代日本庭園…と言えば筑豊の炭鉱王たちの庭園だけど、それとはまたちょっと違う作風。現在目の前に建つマンションが無い時代は庭園の各所から近くに桜島を感じられたのだろうな…。

CMのロケ地や市民の交流の場所として利用され続けた歴史的建築・庭園の解体は残念だけれど…残り少ない期間、お近くの方は最後にぜひ足を運んでみて。

(2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日豊本線・鹿児島市電 鹿児島駅より徒歩15分
JR九州新幹線 鹿児島中央駅より約3.5km(*市内にシェアサイクル「かごりん」あり)

〒892-0804 鹿児島県鹿児島市春日町4-60 MAP