マナーハウス島津重富荘(旧重富島津家別邸)庭園

Shimazu Shigetomi-so Garden, Kagoshima

島津久光を輩出した薩摩藩主の分家“重富島津家”…近代に建築された国登録有形文化財の屋敷の前に広がる庭園は桜島/錦江湾の眺めが絶景!

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マナーハウス島津重富荘(旧重富島津家別邸)庭園について

「マナーハウス島津重富荘」(しまづしげとみそう)は薩摩藩主・島津家の分家で藩主に次ぐ地位にあった島津御一門家の筆頭格“重富島津家”が築いた別邸。「旧重富島津家別邸」として主屋・石塀・米蔵(潮音館)が国登録有形文化財で、現在は結婚式場/鹿児島出身のフレンチの巨匠・坂井宏行さん監修のフレンチ・レストラン“オトヌ”/カフェとして活用されています。

これまで『仙巌園』『旧島津氏玉里邸庭園』といった薩摩藩主・島津家ゆかりの庭園に訪れたけど、こちらも鹿児島市内の島津家ゆかりの庭園。ちょっと敷居高そうだな…と思ってたけど、2022年1月に『カフェ ド マリーエ』を利用した後に庭園を歩かせていただきました。

戦国時代〜江戸時代の長い年月、南九州で一大勢力をほこった大名・島津氏…ですが、その歴史を遡ると鎌倉時代には北陸地方の守護もつとめた“越前島津氏”(後に拠点は播磨へ)、“若狭島津氏”という支族も。

江戸時代中期、四代目薩摩藩主・島津吉貴の子・島津忠紀が断絶していた“越前島津家”を復興させつつ、“重富家”を創設。幕末の薩摩藩で西郷隆盛大久保利通小松帯刀らを登用し、公武合体や倒幕を目指した島津久光は重富島津家の当主でもありました。

桜島と錦江湾を目の前に眺める高台に建つ島津重富荘。かつては篤姫の生家、今和泉島津家の別邸跡地であり、現在残る明治時代後期〜大正時代の主屋/石塀/米蔵は島津久光の四男・島津珍彦と島津⻫彬四⼥・島津典子(典姫)夫妻の本宅として建築されたもの。
そこから100年以上の時を経て、平成年代の2006年に『マナーハウス島津重富荘』が開業しました。なお昭和年代にはジェームズ・ボンド『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)のロケ地にも。

今回利用したカフェ・ド・マリーエは新しい別の建物なのでお屋敷の内部は見ていないのですが…外観だけでも「大大名・島津家の御殿」としての格式が伝わってくる!(なおカフェ ド マリーエも外観は現代的ながら内装は梁があったりと山荘風の和モダンでとてもオシャレ!)

そのお屋敷の前には仙巌園や『都城島津邸』と同じように地形の起伏を生かした芝生が主体の池泉回遊式庭園が広がります。四季折々の植栽に斜面に植わったソテツ群、一風変わった琉球や奄美風の?石灯籠…見所は色々あるのだけれど、なんと言っても高台からの桜島・錦江湾の眺めが絶景!
今回訪れたのが冬でかつ曇りになってしまったので彩りに欠ける写真になってしまったのが心苦しいのだけど、春〜秋かつ晴れた日の風景はきっと最高。

その斜面を活かした大滝もド迫力でこの庭園のハイライトの一つ。幾つかの日本庭園施設に“日本一の大滝”があるけれど、これもそれクラスの高さ!(おそらく現代になってから改修されたものとかで広く知られてない可能性はある…)。

ただ“獣害”はこのような鹿児島の都市部にも近く格式をほこるお屋敷にも及ぶ。築山を登った上、水気のある滝付近はかなり動物に掘られた跡が(*今現在は既に対策済みかもしれません)。ちょうど作業されていた庭師さんと「山から入ってきちゃうんですねえ…」と。伝統的な和の空間には色んな問題が忍び寄っている。ぜひ地元の方にも旅行の方にも積極的にお食事等で訪れて欲しい!

(2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日豊本線・鹿児島市電 鹿児島駅より徒歩25分(*市内にシェアサイクル「かごりん」あり)
鹿児島中央駅・鹿児島駅より路線バス「清水町」バス停下車 徒歩10分強

〒892-0802 鹿児島県鹿児島市清水町31-7 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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