
潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産の天草、その唯一の文化財庭園。江戸時代に作庭された独特の作風の池泉回遊式庭園。苓北町指定名勝。
国照寺庭園について
「萬松山 国照寺」(こくしょうじ)は熊本・天草地方で江戸時代に“天草四ヶ本寺”に挙げられた中心寺院の一つ&天草の曹洞宗の旧本山寺院。江戸時代後期に作庭された日本庭園が苓北町指定名勝の文化財庭園となっています。庭園は自由拝観ですが、同じく町指定文化財の仏像「一佛二十五菩薩」の拝観は要事前予約。
日本各地の「日本庭園」を紹介してきましたが、訪れた事がなかったのが天草。どちらかと言えば(パブリックイメージ的には)「キリスト教や隠れキリシタン」のイメージの強い天草。日本の歴史的にも早期にキリスト教の布教を受け入れ、江戸時代には島原の乱の舞台となり、現在も世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』にも構成される「天草の崎津集落」が残る。
…のですが、そんな天草にも実は「文化財指定庭園」が残る——それが今回紹介する国照寺。
公共交通機関(一応ある)で熊本市中心部から4〜5時間。“最も行きづらい文化財庭園”の一つかもしれません…学会に所属されている様な日本庭園の専門家でもここを訪れたことがある方は5人と居ないのでは…。
歴史的には“苓州”と呼ばれた天草諸島、その中でも最大の面積を誇るのが「下島」。下島には、天草の中心自治体「天草市」と、もう一つ市町村が残ります。それが島北西部の海に面した「苓北町」。
今日では天草地方の中心を天草市役所周辺(本渡)に譲っていますが、苓北町に残る『富岡城』の城下が江戸時代終わりまでは藩主の居城や天領・天草の代官所となっていました。海を隔てて目の前に雲仙岳をのぞみ、歴史的には長崎・島原との結びつきが深かったエリア(現在も長崎・島原行きの船便が日々運行中)。
富岡城下、富岡港からは約4km程離れた山の麓にあるのが国照寺。創建は1644年(正保元年)、島原・天草一揆の後に天領・天草の初代代官となった鈴木重成が、天草の復興とキリシタン教徒の改宗の為に建立した禅寺。
初代住職として迎えられた一庭融頓禅師は“長崎三大寺”にも数えられる長崎の『皓台寺』(長崎市内に多くの末寺を有します)の住職も務めていた高僧で、長崎でもキリスト教徒の改宗につとめていました。
(これだけ書くと鈴木重成も融頓禅師もポジティブに見えないかもだけど、そもそも島原・天草一揆は先の富岡城主の圧政によって起こった反乱で、鈴木重成は天草地域の税の減免を実現、復興に尽力し名代官として地域には伝わります)
総門の周りはまるで城郭のようなお堀が広がり、その景観がお寺の格を感じさせる。幕末の大火によって江戸時代の建築は残っておらず、歴史を感じさせる大きな山門も明治時代以降の再建、本堂は昭和中期(1962年)の再建。
本堂・書院の奥に苓北町指定文化財の庭園が残ります。江戸時代後期の天保年間(のうち1830年代)に作庭されたと伝わります。心字池を中心に置き、背後の志岐山を借景とした池泉回遊式庭園。
お寺が曹洞宗なので「禅庭園」と呼ばれているそうですが——曹洞宗寺院の江戸時代に作庭されたお庭で、これだけ広くて奥行きのある池泉庭園って他にあまり無いのでは?(国指定名勝で『總光寺庭園』も曹洞宗寺院の比較的大きなお庭だけれど)
訪れたのが冬場なので写真映えはしていないと思うのですが、色々とすごく面白くて——大きな池泉の護岸も全部玉石。大きな自然石とかは使わずストイックなまでに玉石。中島にあるお社?の前の石畳も玉石を縦に敷き詰めた独特の石畳。
植栽こそ比較的近い地域(?)の『石田城五島氏庭園』等のようなソテツと刈込みが主体の感じがするけれど、石積みに関しては島原に近しいものがある訳はなく、「どこどこっぽい」というのが無い、興味をそそられるお庭…。
メインの池泉の奥、高台部にも溜池のような池泉がありそのほとりに再建された茶席・離れが。そして、お庭…というか寺域は更に更に山の奥へと石段が続いていく…途中で登るのを諦めてしまいましたが相当広い!
植栽は前述のツツジやサツキの刈込みを中心に斜面づたいに桜の木いくつか植わっているので、これから訪れる人はやっぱり春がオススメ。
ちなみに現・苓北町、かつての富岡城下には江戸時代には勝海舟や頼山陽が訪れ、勝海舟が複数回立ち寄ったという寺院などもあります。天草をこれから訪れる方は苓北の方にも足を伸ばしてみて。
(2024年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
本渡バスセンターより路線バス「シーブル前」バス停下車 徒歩25分
富岡港より約4km(フェリーターミナルにレンタサイクルあり)
〒863-2503 熊本県天草郡苓北町志岐1360 MAP
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