伯爵・田中光顕の邸宅として造られた、富士山を正面に望む近代和風建築と「流れ」を主体とした回遊式庭園。国指定重要文化財。
古谿荘(旧田中光顕別邸)庭園について
【通常非公開 ※内部の写真掲載不可】
「古谿荘」(こけいそう)は土佐藩で坂本龍馬と共に行動、明治時代には大臣も務めた伯爵・田中光顕の邸宅として建てられた近代和風建築で、国指定重要文化財。通常非公開ですが、例年秋~冬に年1回事前申込制の特別公開が実施されています。2018年、初めて参加してきました!
なお、見学中の撮影は可能だったけどネット等への掲載は個人利用でも不可ということで(個別に掲載許諾取ろうとしたけどNG…残念…)、敷地外とパンフレット等の写真だけですが、元静岡県民として県内にこのような文化遺産が残っていることを初めて知って驚き!!
土佐藩士として武市半平太に師事し、幕末には高杉晋作や長州藩の伊藤博文や山県有朋らと行動を共にしていた田中光顕は明治時代には幕府の要職を歴任。
宮内大臣だった明治後期に東海道の宿場町「吉原宿」「蒲原宿」の間宿であった「岩淵宿」のあったエリア、富士川と富士山をのぞむ高台にこの大邸宅は作られました。後に清水区蒲原の「青山荘」(こちらも建物は現存しています。)へ移るまでこの地で隠居生活を送られたそう。その後「講談社」の創業者である野間清治の所有となり、現在は野間文化財団が管理・所有しています(「野間農園」が隣接)。
赤い屋根が特徴的な数々の数寄屋風建築の設計者などは不明だそうですが、田中光顕本人が「田中式」と言っていたため設計に田中光顕伯爵本人が深く関わっていたのでは――と推測されています。
建物内部へ入っての見学はありませんでしたが、外からのぞける範囲でも――玄関に施された船底天井などの意匠や、「八角堂」の和洋折衷とも言える独特のデザインなどは往時の大臣の近代和風建築に相応しい豪華さ。(小田原の「旧田中光顕別邸」の規模を基準で考えていると、圧倒される)
その大規模な邸宅を取り囲む「古谿荘庭園」は高台と低地部の高低差を活かした複数の庭園からなります。
●高台の上、富士山と富士川を真正面に眺める果樹園に隣接したお庭
●大広間の前、松林の先に富士山を眺められるお庭
●「八角堂」「大広間」の間の「流れ」を主体とした池泉式庭園
●そして高台から低地部に水は流れ落ち、小川の流れから心字池風の池泉に流れ込む池泉回遊式庭園
この「水の流れ」を効果的に使った庭園の手法は、田中光顕とは幕末から親交があり、明治・大正時代には同じく政界で大きな影響力を持っていた山縣有朋の邸宅の庭園でよく見られる手法で、両者の親交の深さから影響を受けていたのでは――とガイドの方は口を揃えておっしゃられていました。
確かに、富士川町教育委員会により2008年に発刊された「ふるさと富士川」の中に掲載されている八角堂・大広間の間に水が流れている写真なんかは小田原の山縣有朋三名園『古稀庵』の庭園の流れにとても似てる。
その庭園の池泉の為の貯水池や水源としてこの古谿荘の500m〜1km程離れた場所に『一葉庵』(赤岩離邸)、『芳野庵』(吉津離邸)といった施設があったそう(現在は特に遺構はないそう)。今回は富士市の工事の都合で「流水」は再現されなかったのですが、また水が流れている時の様子も見てみたい…。
ちなみに同じく田中光顕の邸宅であった『蕉雨荘』(しょううそう)という和風建築が、東京の『ホテル椿山荘』のすぐ近くに残っています(隣接する『関口芭蕉庵』がその一部)。こちらも田中光顕から野間清治に譲渡され現在は野間文化財団が所有・管理されています。こちらもいつか見学できることを祈って…!
(2018年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR東海道本線 富士川駅より徒歩14分(富士川ふれあいホールまで)
富士川駅より路線バス「富士川橋」バス停下車 徒歩5分
〒421-3305 静岡県富士市岩淵233 MAP