
これは屈指の借景庭園…!吉備真備が奈良時代に築城した国指定史跡の山城“怡土城”の一角に佇む禅寺。武将・原田氏の館“月見山別館”がそのルーツ。
金龍寺庭園について
「太祖山 金龍寺」(きんりゅうじ)は福岡県糸島市の東部、奈良時代に築城された山城『怡土城』の城跡(国指定史跡)の一角に建つ曹洞宗の禅寺。高祖城主・原田氏の館『月見山別館』をそのルーツとし、高祖山を借景とした池泉鑑賞式庭園と門前に現代に作庭された枯山水庭園があります。庭園は自由拝観。
2024~2025年のNHK朝ドラ『おむすび』の舞台の一つでもある糸島市。その南部には紅葉の名所として人気の『雷山千如寺 大悲王院』がありますが、もう一つ気になっていたお寺さんがこちら。冬に訪れたので写真では伝わらないのですが、春にはツツジの名所として地元では人気、そして花がなくともこの借景のスケールは数ある借景の名庭園にも負けず劣らず…!
その歴史について。雷山と同じく古代からの歴史を持つ「高祖山」(糸島市と福岡市の境界となっている山)。冒頭にも挙げた『怡土城』は『続日本紀』にも登場する城郭で、かの吉備真備によって756年〜768年の約12年掛けて築城。金龍寺の並びにある『高祖神社』も近い時代、平安時代初期より前に創建と伝わります。
時代を経て、鎌倉時代以降この地域を支配したのが原田氏。そのルーツは中国/前漢の初代皇帝・高祖劉邦にあると言われていて、その子孫・東漢氏が渡来人として大和朝廷に仕え、時代を経て「大蔵氏」として大宰府の要職を務めるようになり、九州に様々な姓の子孫(武家)を残しました。原田氏もその一家。
なお、原田家から枝分かれしたのが秋月藩・秋月氏。このお寺・神社の空間が「秋月に似てるなあ…」と感じたのは偶然ではなかった…のかも。
1249年(建長元年)、時の当主・原田種直は怡土城の遺構を活かしながら居城『高祖城』を築城。それに先立って1203年(建仁3年)に現在金龍寺のある場所に原田家の菩提所として『月見山別館』を築きます。
鎌倉時代の元寇ではまさに最前線で身体を張った原田氏。時は過ぎ1508年(永正5年)、時の当主・原田興種が父の原田弘種を弔うために月見山別館を金龍寺とします。初代住職(開山)には大内氏が治めた山口の国宝寺院『瑠璃光寺』から迎えられたとか。
戦国時代は大内氏、龍造寺氏などの大名の下で高祖城主として存続した原田氏ですが、桃山時代に豊臣秀吉の九州征伐で龍造寺氏とともに敗戦。高祖城の廃城とともに金龍寺も衰退。江戸時代に入ると福岡藩主・黒田長政の家臣・高橋伊豆によって現在の福岡市内に移されます(福岡市の『耕雲山 金龍寺』。こちらも立派なお寺さん)。
移転がありつつも、糸島の金龍寺にも従来の原田氏菩提所や一部の建築は残され、また地域の方々により支えられ現在も立派な姿を見せてくれています。その立地やスケールから歴史をひしひしと感じる一方で、現在の本堂は昭和時代後期(1980年)の再建、大きな立石が目を惹く禅寺らしい石庭も現代、1990年頃の作庭(と航空写真から推測)。
本堂の奥に主庭となる池泉鑑賞式庭園があります。こちらも現代に(主に本堂の再建時に)改修されていますが、この高祖山を借景とした池泉庭園はお寺に伝わる100年以上前(明治時代頃?)の古写真にも写り込んでいるそう。
更に言うと前身が『月見山別館』と言う位だから、原田氏が東の高祖山から登る月を眺めていた(ここにその為の空間があった)…ということは推測できます。
繰り返しになるけれど、冬に訪れたので花々によるカラフルさは伝えられませんが——でもこの借景とよくお手入れされた木々、春〜新緑の時期に訪れたら借景含め最高の景色が眺められるはず——。そんな季節にいつか必ず訪れたいし、まだ見ぬ地元の方に知られ、愛されて欲しいお庭!
(2025年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR筑肥線 筑前前原駅/周船寺駅より路線バス「高祖」バス停下車 徒歩10分
JR筑前前原駅より約7.5km(駅前にレンタサイクルあり)
〒819-1571 福岡県糸島市高祖1289 MAP
投稿者プロフィール
