友泉亭公園

Yusentei Garden Park, Fukuoka

福岡藩6代藩主・黒田継高が江戸時代中期に造営した別荘“友泉亭”がルーツの福岡市指定文化財庭園。炭鉱王“貝島財閥”貝島家ゆかりの近代和風建築も。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

友泉亭公園について

「友泉亭公園」(ゆうせんていこうえん)は福岡藩主・黒田家が江戸時代中期に造営した別荘『友泉亭』をルーツとする歴史公園。その池泉回遊式の日本庭園は福岡市の文化財にも指定されています(福岡市指定名勝)。日本の歴史公園100選。

その歴史について。戦国武将“黒田官兵衛”こと黒田孝高の血統としては最後の福岡藩主であり、伝統芸能/文化にも理解があったとされる6代目藩主・黒田継高
そんな継高が1754年(宝暦4年)、福岡城の南方の油山をよく望む地に建立した別荘が「友泉亭」。その名は江戸時代の公卿・久世通夏が詠んだ歌《世に堪へぬ 暑さも知らず 沸き出づる 泉を友とむすぶ庵は》が由来。なお造営された当時は現在の面積(約3,000坪)の約10倍もの面積があったとか。

明治維新を迎え廃藩置県などで黒田家が福岡を離れるとその後は用途や所有者が変遷。小学校や村役場として活用された後、1928年(昭和3年)に炭鉱王と呼ばれ財を成した「貝島財閥」貝島家が購入。戦後〜昭和時代後期に福岡市の所有となり(参考)、福岡市立で初めての池泉回遊式日本庭園として整備、開園しました。

大名庭園のような池泉廻遊式庭園はその江戸時代中期当時に造られたもの――という明記は見当たらないのですが、大広間から中央にのぞむシンボルツリーの金木犀(ウスギモクセイ)は樹齢300年以上と言われ、その江戸時代中期の作庭時から残るものと推測されます。それ以外の木も立派な高木が多く、(現代化した周囲の景観を隠す目的もあるかもしれないけれど、)庭園の歴史を感じさせます。

そして、和風建築が池にせり出す姿が福岡市内の他の日本庭園とは異なるこの庭園の一つの魅力。この建物は昭和初期に建てられたもの(=貝島家の所有の時代)で、大広間は数寄屋風書院造り、そして茶室「章山庵」が併設されています。
この建物には金子堅太郎伊藤博文内閣の司法大臣)、広田弘毅(元首相)と二人の福岡出身の近代の政治家による扁額が掲げられていて、この場所が貝島家の時代にも迎賓館的な場所だったと感じ取れる。この大広間では来場者がお抹茶セット(菓子付き)をいただきながら庭園をまったり眺めることもできます。

庭園を歩くと、もう一つ苔むした茶庭の先にお茶室があります。茅葺屋根の茶室「如水庵」は黒田官兵衛の別名「黒田如水」から取られたもの。こちらも見た目は古そうですが、黒田家時代のものは残ってないそうなので貝島家の時代に建立されたものかな。

ひとつ園内で黒田家ゆかりのものは、池の北西部にある「根府川石」の一枚石。黒田家の江戸屋敷の庭園の石橋だったものを黒田家から贈られ移設したものなのだそう。小田原市で産出される根府川石は首都圏では見る機会がままありますが、京都を含む西日本では珍重された銘石。
なお小田原市にも黒田家ゆかりの邸宅と庭園が残され、公開されています。⇒『清閑亭庭園』(旧黒田長成別邸)

福岡の中心市街地(博多/天神)からは少々離れているものの、地下鉄・七隈線の延伸に際して地下鉄駅構内での大きなPRの効果もあり?以前よりも来場者も増え、また若い世代の来場も増えていたのが印象的。ハレの日の記念撮影の場所としても◎!

(2015年9月、2018年12月、2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

福岡市地下鉄七隈線 茶山駅から徒歩15分強
福岡市中心部から路線バス「友泉亭」「友泉中学校前」バス停より徒歩5分/

〒814-0122 福岡県福岡市城南区友泉亭1-46 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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