神宮寺普賢堂跡・心字池庭園

Jingu-ji Temple Ruins, Suwa, Nagano

かつて空海が建立し、諏訪大社の宮寺として繁栄した”神宮寺”の普賢堂――その跡に残る心字池庭園。

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神宮寺について

「神宮寺」(じんぐうじ)は東日本を代表する神社の一つ「諏訪大社」の上社本宮からすぐの場所にあった大寺院。
諏訪大社に近接する『法華寺庭園』を紹介する際に航空地図を見てたら、諏訪大社参道から少し入った高台にある心字池のことが気になって――2019年7月に諏訪へ行った際に訪れました!

神宮寺とは。諏訪大社に限らずかつては各地の神社に付属しておかれていた寺院のこと。明治時代の神仏分離令によってその多くが消失、または改名したり神社に転向して現在に至ります。

諏訪大社本宮にも明治期までは神宮寺があり、大坊(神宮寺)、下ノ坊(蓮池院)に加え、現在の参道には上ノ坊(如法院)、神洞院、宝蔵坊、松林坊、蓮乗坊、泉蔵坊、玉蔵坊、善勝坊…といった寺院が立ち並んでいたそう。現在は全てなくなり住所・町名としてだけ“神宮寺”の名が残ります。ちなみに明治期の庭園見られる『茶庭亀石』さんがある場所には神洞院があったみたい。

諏訪大社参道から「仁王門跡」の碑が立つ石段を登っていくと(参道はアジサイがきれいだった!)、池泉式庭園の遺構と思われる心字池が残ります。現在は広場のようになっていますが(ちなみに諏訪大社神苑の一部だそう)、かつてここには普賢堂・五重塔・鐘楼――といった建造物がありました。

普賢堂の歴史は古く、建立したのは弘法大師空海と伝わります。鎌倉時代の1292年に諏訪氏の支族・知久敦幸…あっちゃん…が奈良・東大寺の宮大工?藤原肥前守を招いて再建。その後、明治の廃仏毀釈で五重塔、鐘楼などその他の建物と共に取り壊しに――明治の当時で600年の歴史がある建造物が取り壊されたのかと思うと、廃仏毀釈というムーブメントのすごみを感じる。
ちなみに普賢堂にあったご本尊は同じく諏訪市の『仏法寺』に所蔵されているそう。現在は心字池のほとりには石灯籠の礎石だけが残ります。

また同じく池のほとりに立つ大木「五本杉」は樹齢約400年で、諏訪市天然記念物。現在の木自体は江戸時代からのものですが、かつて弘法大師が木の下に宝を埋めて

朝日照り夕日かがやくこの山に 漆千杯、金千杯、朱千杯

という詩を残したそう。ロマンチック。

そして心字池。諏訪市博物館の模型を元にした『明治維新前の諏訪大社上社と神宮寺』看板には普賢堂の横に池泉鑑賞式庭園が描かれている。
一方で諏訪大社の権祝を務めた矢島家に伝わるという江戸時代初期の絵図には、普賢堂・五重塔は描かれているけどこの池泉は描かれていない。絵的にスペースの都合もあると思うので…“普賢堂に伴って作庭されたもの”だとすると下手したら鎌倉時代とかそんなこともあるかもしれないのですが、絵にあれば「少なくとも江戸初期には存在してた」とか言えるのにな~という。

そんな妄想をしながら広場を散策――放っておけばきっと土に埋もれていくのでしょう。ちなみに法華寺も宮寺の一つだったそうだから、法華寺だけある程度ちゃんとした形で残ったというのは不思議なもの。

(2019年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR中央本線 茅野駅より約3km(駅及び駅近くのホテルにレンタサイクルあり)
上諏訪駅より路線バス「上社」バス停下車 徒歩5分

〒392-0015 長野県諏訪市大字中洲神宮寺838 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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