岩崎弥太郎生家庭園

Birthplace of Iwasaki Yataro, Aki, Kochi

三菱グループ創始者・岩崎彌太郎が少年期に作庭したという小さな石庭。江戸時代建築の旧宅は国登録有形文化財。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

岩崎弥太郎生家の庭園について

「岩崎弥太郎生家」(いわさきやたろうせいか)は三菱グループの創始者・岩崎彌太郎および二代目総帥・岩崎弥之助、三代目総帥・岩崎久弥の生誕地。少年期の岩崎彌太郎によって作庭されたという小さな石庭が残ります。主屋のほか番屋・西蔵・東蔵・練塀・便所・ほこらの計7棟が国登録有形文化財。

2021年年始に初めて訪れました。安芸市には数年前、国の重要伝統的建造物群保存地区・土居廓中の武家屋敷の町並みを見に訪れたことはあったのですが、岩崎弥太郎生家は更に駅から離れていたので足が伸ばせず…(土居廓中からは1.5km程)。今回は駅からレンタサイクル。

安芸の市街地から約3kmの郊外の農村に残る岩崎弥太郎生家。岩崎家も江戸時代には農業を営んでおり、この茅葺屋根の邸宅は1795年(寛政7年)頃に彌太郎の曽祖父・岩崎弥次右衛門の時代に建築されたもの。

この家で生まれ、幕末には土佐藩政に影響を及ぼした吉田東洋後藤象二郎に見出され坂本龍馬の率いた海援隊の会計もつとめました。その後の岩崎彌太郎の活躍は…長いのでWikipediaや三菱グループのウェブサイトでご確認ください。

現在残る建築のうち、主屋と便所以外は明治中期~後期にかけての建築。岩崎家が“三菱財閥”としての地位を築いた後もこの生家は大切に残され、公開されているのも“所有者のご厚意によるもの”で…所有者について明記はないけどおそらく三菱グループなんじゃないかな…?(安芸市や高知県ではない)

園路や飛び石はとても整然としているけど、竹垣に囲われた主屋の座敷前の石庭。これは彌太郎が少年期に日本列島を模して作庭したものと言われます。
《日本列島は我が庭の内にあり》と語っていたという彌太郎。実際に(吉田東洋らと出会う前に)一度江戸に出向いて学び、そして三菱グループの礎を築いた後に東京で大名庭園『六義園』を手に入れ、『清澄庭園』を築庭。そのはじまりはこの小さな石組にあった。

また敷地内には三菱グループ各社の協賛で建立された記念碑、そして駐車場には岩崎弥太郎銅像も建ちます。

(2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線 安芸駅より約3km(徒歩40分/駅にレンタサイクルあり)

〒784-0051 高知県安芸市井ノ口甲1696 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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