山内一豊に伴い土佐国に入った御殿医の一族が暮らした和洋折衷の近代和風建築と枯山水庭園。国登録有形文化財。
安田まちなみ交流館・和(旧市川医院・旧柏原家住宅)について
「安田まちなみ交流館・和」(やすだまちなみこうりゅうかん・なごみ)は大正時代の洋風建築『旧市川医院』と昭和初期の和風家屋『旧柏原邸』の隣接する2棟の国登録有形文化財による観光交流施設。
2021年の年始、4年ぶりに高知県へ。先に紹介した『岡御殿』などを残す田野町の隣駅(ごめん・なはり線の終点から2つ手前)が安田町。こちらも旧街道筋として多くの国登録文化財も含む古い町並みを残しています。
この市川家・柏原家はともに開業医で、市川家は山内一豊が『掛川城』から土佐国に移った際にともに入国、土佐藩の御殿医を務めていたという家柄だったそう。
現代に入り約20年ほど無住となったのちに町に寄贈。2010年に修復され「まちなみ交流館」としてのスタートを切りました。
『旧市川医院』は1913年(大正2年)の建築で、現在施設の受付はこちら。展示室では坂本龍馬の義兄・高松順蔵や海援隊などで龍馬とともに活動した土佐藩士・石田英吉といった安田出身の幕末の志士に関する展示などを見ることができます。
そして期待以上に素晴らしかったのが『旧柏原邸』。安田川の上流から運ばれてきた魚梁瀬の天然木材をふんだんに用いて1933年(昭和8年)に建てられ、“土佐東部の建築様式”というものが随所に見られるそう。
(…と書いてて気づいたけど、田野町と同じく安田町も木材を運ぶ港として栄えた一面があったのかもしれない)
建物に関する解説は公式サイトの見取り図がとても詳しいのでそちらを見ていただくとして、とにかく欄間や障子の意匠がめっちゃくちゃかっこいい。時代が違うけど、岡御殿とはまた違う豪華さ!
そして庭園も2つ。表門から入ってすぐの前庭と、書院造りの座敷から眺める主庭(中庭)。いずれも枯山水庭園ですが、主庭は建築当初は池泉庭園だったとのこと。
用いられている石やなんかは荒々しい石や奇石だったりおそらく地元のものなんだろうけど、前庭も主庭も赤い沓脱石を見ていると“京風”といった印象を受ける。(今回色々見た中でも)高知であまりこういうタイプの庭園は見なかった。決して大きい庭じゃないけど建物との組合せが◎。
しかし面白い構造なのは、この元は所有者が異なる二つの近代建築が改修前から「繋がっている」という構造だったこと。柏原邸自体は純和風建築なんだけど、一つの“和洋折衷の近代和風建築”といった感じ。
若かりし龍馬も訪れた安田の町並みと併せてチェック!
(2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)