“憲政の神様”とも呼ばれ5・15事件で倒れた首相・犬養毅の生家は国指定重要文化財の“岡山の代表的な民家建築”。枯山水庭園も。
犬養木堂生家(旧犬養家住宅)庭園について
「犬養木堂生家」(いぬかいぼくどうせいか)は『5・15事件』で凶弾に倒れた第29代内閣総理大臣・犬養毅の生家。「旧犬養家住宅」として主屋・土蔵が国指定重要文化財、敷地が「犬養家旧宅」として岡山県指定史跡で、氏を顕彰するために1993年(平成5年)に開館した岡山県立の記念館『犬養木堂記念館』に隣接して建ちます。
“木堂”は犬養毅が名乗った雅号。2022年5月に初めて訪れました!『旧犬養木堂記念館』と分けて紹介します。
近代〜昭和初期にかけて活躍した政治家・犬養毅。幕末に備中国・庭瀬の大庄屋の生まれ。上京しジャーナリストとして活躍したのちに政治の道を歩むことになりました。政治活動の詳細とかは公式サイトやWikipedia等を参照していただけたら…と思いますが、大正時代に「普通選挙法」が成立する過程でもその実現に尽力し《憲政の神様》と呼ばれるまでに。
首相に就任したのは晩年の76歳。その翌年の5・15事件によって首相官邸で暗殺、最後を遂げました。最後に青年将校に《話せばわかる》の言葉も有名。
岡山県出身者としては初めての内閣総理大臣だった犬養毅の遺品・写真・手紙、書道家でもあった犬養の書など、犬養に関連する各種史料を展示/収集/所蔵するのが『犬養木堂記念館』。
この「犬養木堂生家」も記念館の一施設として、記念館の公開日にあわせ開館されています。
犬養家は江戸時代の初期から代々庭瀬藩の庄屋・大庄屋、また庭瀬藩の要職をつとめる名家でした。現在残る主屋も江戸時代前期の建立とだいぶ古く、岡山市の代表的な民家建築との評価も。
昭和後期に犬養家から岡山県に寄贈され、1979年(昭和54年)に岡山に本店を置くゼネコン・大本組の創業70年記念事業として解体・修復。現在の姿は江戸時代中期の正徳年間(1711〜1715年)四代目犬養源左衛門の頃のお屋敷の姿。
主屋は式台の玄関を持ち、庭園に面した座敷も書院造りで障子もデザインされている所などから藩に影響を持った庄屋さんとしての格式が感じられる。犬養毅の父親は儒学者でもあったらしいので、犬養家にはそんな文化的教養が叩き込まれる環境にはあった。あと屋敷地を囲む石塁とお堀(のような小川)もこのお屋敷の一つの特徴。
書院造りのお座敷に面して枯山水庭園があります。短冊石を組み合わせた飛び石はなんか出雲流庭園っぽいな〜。同じ岡山市の『少林寺庭園』にも“出雲流っぽいな”と思える雰囲気があったけど。岡山の古民家で言うと“塩田王”のお屋敷『旧野﨑家住宅』の庭園と近い作風で、とても広い庭園…という訳ではないけど、お屋敷との組み合わせが良い感じ。
主屋の北側(門から見て奥)には生家の修復後に新たに建てられた「木堂塾」という和室が。これらの和風建築と庭園に親しんでもらうために、毎年秋には『紅葉と和文化を楽しむ会』も開催。
やはり岡山市の日本庭園というと『岡山後楽園』以外の情報が入って来づらい所があるのだけど、犬養木堂記念館&生家はそれぞれ異なるタイプの庭園が見られます。ぜひ立ち寄ってみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)