少林寺庭園

Shorinji Temple Garden, Okayama

岡山後楽園からも程近く、池田輝興・伊木忠澄ゆかりの寺院に残る江戸時代の庭園と木津聿斎設計の茶室“三猿堂”。

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少林寺庭園について

「国富山 少林寺」(しょうりんじ)は『岡山後楽園』や『岡山城』から南東約1.5kmの場所にある臨済宗妙心寺派の寺院。江戸時代中期作庭の庭園があるほか、武者小路千家流茶道の茶人・木津聿斎(木津宗詮)が手掛けた茶室(茶堂)“三猿堂”が残ります。岡山県十勝地。

このを知ったきっかけは、『慶沢園』など大阪や京都で七代目小川治兵衛とタッグを組んでいる木津聿斎。氏について調べる中でこのお寺の名前があり、2021年4月に半年ぶりに岡山を訪れた足で初めて拝観しました。岡山市の中心部からもそんな距離もないのでとりあえず行ってみようと思って行ったんだけど、茶室のみならず期待以上に立派な庭園が…!

その歴史について。戦国大名・池田輝政の息子で赤穂藩二代目藩主・松平輝興(池田輝興)が播州赤穂に創建した「長松山 盛岩寺」がその前身。
輝興は正室を切り殺す“正保赤穂事件”を起こし赤穂藩主を改易となり、甥の池田光政が藩主だった岡山藩が身元預かりとなって岡山の地で最期を迎えました。死後の1660年(万治3年)に池田輝興の菩提寺として盛岩寺をこの地に移し、現在の寺名に改名。

本堂奥・書院正面から眺める庭園は操山を借景とする庭園で、1699年(元禄12年)作庭。ちょうど岡山後楽園の作庭と同時期。重森三玲の本でも紹介されているとのこと。
面白いなあと思ったのは、書院前の白砂のど真ん中を飛び石の園路が通されているところ。ここだけなんか“出雲流庭園”っぽい。枯滝石組と斜面上部にある2畳の小さな茶室とアイキャッチも複数あって楽しい。

そしてお茶室について。“三猿堂”の名の由来は、幕末に岡山藩の筆頭家老をつとめた伊木忠澄の号“三猿斎”。幕府の長州征討や後の戊辰戦争での岡山藩の立場を取りまとめた伊木忠澄、裏千家の十一代目・玄々斎に師事した茶人でもありました。

伊木忠澄の墓所の残るこの寺院に木津聿斎が“三猿堂”を建立したのは昭和初期。
お庭で作業をされていたご住職に「三猿堂でこのお寺のことを知って伺った」旨をお伝えしたところ内部も見せていただけた…!外観や内部は完全にお茶室なのですが、中では伊木三猿斎を祀った仏間があるのが特徴の一つ。また茶室の露地庭部分は聿斎の作庭。主庭もその頃に一部改変されているのかもなあ(白砂の中の飛び石とか)。

ご住職には他にも幾つかお話を伺いました。観光寺院ではないので積極的に公開をしているわけではないけど、自分が居る時には基本的にはお庭は開門しているとのこと。
そして木津聿斎の茶室ということで見に来られる方が稀にいらっしゃる(自分のちょっと前に京都工芸繊維大学の准教授?助教授?が来られたとか)けど、茶会として使われる機会も年に1・2度あるか無いかで、自然災害も少なくない昨今では維持管理も簡単ではないということ。庭園も「昔と比べて石組が崩れてしまっている。けど、それを修復する余力はお寺にはない」ということ。

それでも決して“手が行き届いていない”という印象は無い、めちゃくちゃいい庭園だなあと思ったのが正直な所で…。慈善心と“日本文化素晴らしい”みたいな綺麗事だけでは古庭園は維持できない。自分も結局“こんな素晴らしい庭園あるよ”って伝えてるだけだからね…常に無力感はあるんですが、“伝える”がいつか何かのきっかけになることを願って。

かつては岡山県民の投票を下に山陽新報社が発表した『岡山県十勝地』で約500万票を獲得し5位となった“少林寺”。岡山県民も選んだ名刹にぜひ足を運んでみて。

(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

岡山電軌東山線 東山・おかでんミュージアム駅より徒歩10分
JR山陽新幹線 岡山駅より約3km(駅周辺にシェアサイクルあり)
岡山駅より路線バス「国富」バス停下車 徒歩6分

〒703-8236 岡山県岡山市中区国富2丁目1-11 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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