旧堀田邸(旧堀田正倫庭園)

Former Hotta Masatomo Garden, Sakura, Chiba

多くの大老/老中を輩出した佐倉藩最後の藩主・堀田正倫が明治時代に造営した国重要文化財の屋敷と国指定名勝庭園。伊藤彦右衛門作庭。

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旧堀田邸(旧堀田正倫庭園)/さくら庭園について

「旧堀田邸」(きゅうほったてい)は下総国・佐倉藩の最後の藩主・堀田正倫が明治時代に造営したお屋敷。建築が「旧堀田家住宅」として、庭園が「旧堀田正倫氏庭園」として。地元では『さくら庭園』として親しまれています。作庭は“染井の庭彦”と呼ばれた当時の関東の有力庭師・伊藤彦右衛門(珍珠園)

2022年5月、『DIC川村記念美術館』の後に5年半ぶりに訪れました!
江戸時代には大老となった土井利勝堀田正俊を筆頭に多くの老中を輩出した佐倉藩。その歴史の中で最も長い期間、佐倉城主だったのが堀田氏。幕末にアメリカとの交渉に尽力した老中・堀田正睦の子として藩主となった堀田正倫も譜代大名として江戸幕府の最後を支えました。

明治維新〜版籍奉還後は伯爵となり東京に移住した堀田正倫が1890年(明治23年)に旧領の佐倉に造営した別邸あこの「旧堀田邸」(後に佐倉に戻り本邸に)。

かつて過ごした佐倉城からは2kmほど東の鹿島台地の広大な敷地を切り開き造営された本邸には現在も残る約2,400平方メートルの広さの庭園のほかに、その数倍の広さの「堀田家農事試験所」をもうけ、農業の研究や振興に尽力されました。
現在はその一帯に「佐倉厚生園病院」や「佐倉ゆうゆうの里」などが立ち、「さくら庭園」はそれらの利用者の憩いの場にもなっています。

玄関棟/座敷棟/居間棟/書斎棟/湯殿棟/門番所/土蔵の7棟が国重要文化財の「旧堀田邸」。いくつかの旧藩主邸を見てきているけど、これだけ横に長〜いお屋敷はあまり無い。内部は書院造りを基調として、直線的な意匠やガラス戸などが取り入れられはじめたとなっています。建築設計?大工棟梁?は西村市右衛門

その横に長〜い建築は存分に庭園を眺めるためだったのかも…?とも思える広大な庭園。お屋敷の手前には大きな沓脱石や手水鉢、四季を彩るツツジや紅葉が植栽される一方で、その先は台地の緩やかな傾斜地形をそのまま活かした芝庭が広がります。

“池泉”や“”のような日本庭園の意匠が排除された、シンプルな新時代の近代日本庭園。
この前日に群馬・館林の『旧秋元別邸』を訪れていて、その時は何も思わなかったけれど…『旧藩主が江戸時代の領地に築いた別邸/横に長い屋敷の前面に広がる芝庭』ってのが似ている。遠く大分・臼杵の『旧臼杵藩主稲葉家下屋敷』の庭園とかも。この建築・庭園のスタイルが流行した背景にきっとキーパーソンが居たのでは?

作庭を手掛けた“染井の庭彦”珍珠園・伊藤彦右衛門、情報があまりある方ではないけれど、『明治天皇行幸における華族邸宅の能楽御覧所について(奥冨利幸)』を読むと、その二代目が“本郷の前田利為邸”の庭園を手がけている。=国指定名勝の『懐徳館庭園』のことかな?旧大名家・伯爵家に食い込んでいた庭師だった様子が伺える。

平成〜令和の現代を生きていると、これだけ広い敷地の庭園としては「池のある庭園」の方がわかりやすくて人気だと思うけど、この時代は眺望そのものを庭園に取り入れた“広い芝庭”こそが新時代の庭園だったのだろうなあ。(同じ千葉県の『旧戸定邸』とかも)
旧堀田邸では年に5回程度、通常非公開の2階や書斎棟を見学することができる特別公開も実施されているとか。書斎棟の違い棚がすごくかっこよさそう&いつか2階からの庭園の眺めも見てみたい…!

(2016年9月、2022年5訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR成田線 佐倉駅より徒歩20分(駅の観光案内所にレンタサイクルあり)
京成佐倉駅より路線バス「厚生園入口」バス停下車 徒歩5分

〒285-0025 千葉県佐倉市鏑木町274 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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