2022年から宿泊施設に!明治時代に全国の長者番付にも名を連ねた豪商の屋敷に、『鈍穴流』花文の初代・二代目により作庭された庭園。
NIPPONIA 五個荘 近江商人の町(外村宇兵衛邸)庭園について
【2022年からは宿泊者向け】
「外村宇兵衛邸」(とのむらうべえてい)は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている『五個荘金堂』の町並みにある近江商人屋敷の一つ。2022年から宿泊施設『NIPPONIA 五個荘 近江商人の町』としての活用がスタート。
分家である『外村繁邸』と同じく、『鈍穴流』の継承者「花文」の初代・二代目によって作庭された庭園が残ります。
2019年春に重伝建地区『五個荘金堂』をはじめて巡りました。個人的には75箇所目ぐらいの重伝建。江戸時代以降に興隆した「近江商人発祥の地」として大きな商人屋敷が立ち並ぶ一方で、国指定重要文化財の本堂を持つ「弘誓寺」や聖徳太子が創建したと伝わる「浄栄寺」が集落の中心に位置し、寺社や水路、周辺の水田を含めた景観が歴史的なものとされています。
「外村宇兵衛邸」「外村繁邸」の辺りが五個荘金堂の中心地で、五個荘駅から向かうと最も近くにある『藤井彦四郎邸』からは徒歩15分程掛かります。
外村宇兵衛家は、江戸時代を通じて近江商人として活躍した外村与左衛門家6代目の末子による分家。初代の外村宇兵衛から約100年経った明治時代には分家ながらも全国の長者番付に名を連ね当地を代表する豪商に。
商圏は江戸時代の京都・大坂・紀州・名古屋・上州…といった場所に加え、東京・横浜・福井などにも広がりました。全盛期の宇兵衛家には十数棟という建物や蔵が立ち並んでいたそう。『外村繁邸』はこの外村宇兵衛家からの分家。
その後老朽化によって建築や庭園も半分程取り壊されてしまったそうですが、旧五個荘町によって明治時代の姿に復元されたのが現在の建物と庭園。なお母屋は江戸時代後期のものが現在も残っています。
庭園は近江国で活躍した作庭家・勝元宗益の興した『鈍穴流』の継承者、「花文」の初代・二代目による作庭。『鈍穴流』の説明は『外村繁邸』の方に書いたので省略――こちらは外村繁邸よりも早く作庭された庭園で、作庭当時は郡内一番の庭とも言われたそう。庭園を回遊すると奥には池泉の姿が確認できますが、その上にある待合風の四阿を見ても池泉回遊式庭園というよりはその飛び石が茶庭に近い感じがする――。
鈍穴自身、茶道『遠州流』を辻宗範から学んでいるので茶庭にルーツがあるとしても違和感はないけど――鈍穴流の特徴はこの飛び石にある?次回の近江商人屋敷も引き続き鈍穴流の庭園を紹介予定!
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)