三度に渡り内閣総理大臣を務め“桂園時代”を築いた首相・桂太郎が明治時代に造営した旧宅と流水式池泉庭園。
桂太郎旧宅・旧桂氏庭園について
「桂太郎旧宅」(かつらたろうきゅうたく)は3回に渡り内閣総理大臣をつとめ、2019年までは首相在任日数でも歴代1位だった近代の大物政治家・桂太郎の旧宅。武家屋敷の面影が残る家屋と日本庭園が残ります。萩市指定史跡。
2021年7月に約7年ぶりに萩へ。幕末の志士や明治維新後に政府の要職を務めた人材を多数輩出した萩。そのうちの一人、山縣有朋が椿山荘・無鄰菴など“山県三名園”を作り上げたバックグラウンドとして、萩の城下町では“庭園”が身近な存在だったことが影響している(のだと思う)。
…と言いつつ前回来た時は全然庭園って目線で巡ってなかったんだけど。2015年にユネスコ世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』にも登録された萩の城下町は偉人の武家屋敷や町家に多数庭園が残ります。
前述の通り2019年までは首相を務めた期間が歴代1位、今も2位の大物政治家・桂太郎。幕末に長州藩士・桂与一右衛門の長男として平安古で生まれ、3歳の時にこの旧宅地に移り住みました。
この川島という地、国の重要伝統的建造物群保存地区の平安古地区や堀内地区と比べると萩城からはだいぶ離れている。川島出身の山縣有朋が下級藩士の家の出とされるので、どちらかといえば下級武家が集まっていた土地だったのかな。
松下村塾や奇兵隊にも参加していないものの、藩校・明倫館で学ぶと徐々に頭角を表し戊辰戦争では参謀として参戦。明治時代以降の政治家としての出世や実績はWikipediaにて。
この旧宅と庭園は江戸時代の萩藩士の時代から残るものではなく、第2次桂内閣真っ只中の1909年(明治42年)に自らの旧宅地を買い戻して新築されたもの。
その時の成功ぶりを考えれば周囲の土地も買ってド派手な邸宅を建てる財力も持ち合わせたいたはずだけど、とっても質素でさほど広さもない平屋建て。きっと幼少期を過ごした武家屋敷を忠実に再現したい意図があったんじゃないかなあ。
この川島地区を流れる小川“藍場川”の水を引き込んだ、流水式池泉庭園も新築にあわせ作庭されたもの。こちらも決して広くはないけど、これまで紹介した“出雲流庭園っぽい萩スタイルの庭園”とは一線を画した造形や借景など、この敷地の中で“座敷から眺められる最大限のクオリティの庭園”という感じがして素晴らしい。護岸の石もけっこう奇石が多い。
で、この藍場川沿いには“水の流れを共有した池泉庭園”のカルチャーが存在した(後日紹介する『旧湯川家屋敷』もそう)。この土地出身の山縣有朋は京都の『無鄰菴庭園』や東京の『椿山荘庭園』で、隣接する邸宅と水を共有する池泉庭園を造営するわけだけど、もしかしたらそれってこの“川島という地に存在した文化”というバックグラウンドが大きいのでは――?
なお桂太郎は政治家として山縣有朋との関係が深く――ってこれ、川島時代からの同郷だったのも大きいのかな。桂の死後にこの川島の南端に御山路神社“甘棠園”(現存せず)が落成した際には、その石碑の題字は山縣有朋によるものだったとか。石碑はまだ残っているみたいだから次回はちゃんとチェックしたい。
庭園の一角には桂太郎公の銅像も。これは氏が創立に関わった拓殖大学のキャンパスにある像(彫刻家・武石弘三郎作)を原本として、それを拓殖大学の創立100周年の際に萩市に寄贈されたもの。
(2021年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陰本線 萩駅より徒歩20分
JR山陰本線 東萩駅より徒歩30分
萩駅・東萩駅より路線バス(循環バス)「藍場川入口」バス停下車 徒歩7分
※萩駅・東萩駅にレンタサイクルあり
〒758-0031 山口県萩市川島73-2 MAP