
“杜の都”仙台の街路樹を景色に取り込んだお庭。“荒城の月”の作詞者&島崎藤村とも並び称された近代の詩人/文学者・土井晩翠の旧居の庭園。
晩翠草堂について
「晩翠草堂」(ばんすいそうどう)は瀧廉太郎作曲の『荒城の月』の作詞者としても知られる近代の詩人/英文学者・土井晩翠の旧居。宮城県仙台市の中心部、繁華街・一番町やデパート「藤崎」から程近くに、昭和時代の戦後に建てられた和風建築が残ります。
「青葉通一丁目」駅からは徒歩4分、仙台の繁華街・一番町(一番町スクウェア)のすぐ南西に位置する晩翠草堂。近隣の『良覚院丁公園(緑水庵庭園)』と共に、仙台中心部で公開されている数少ない和風/古民家施設。
島崎藤村と並び称され、「晩藤時代」とも言われた近代を代表する詩人の一人・土井晩翠。明治維新の後に仙台市に生まれ、東京帝国大学への進学を経て明治時代〜昭和時代中期に掛けて東京・仙台を拠点に詩人/翻訳家/作詞家、また(旧制)第二高等学校〜東北帝国大学(現・東北大学)の講師として活躍。先述の『荒城の月』は作詞家としての初期作品で、以降全国の学校の校歌を数多く手がけられています。生前には初の仙台市名誉市民、詩人として初の文化勲章を受章し、幹線道路「晩翠通」にもその名が残ります。
晩年は地元・仙台で過ごした晩翠。1945年の仙台空襲によってそれまでの自邸と蔵書3万冊が焼失してしまいますが、失意の晩翠のために教え子や市民有志によって再建されたのが現在の「晩翠草堂」。1952年に亡くなられるまでこの邸宅で過ごし、現在は仙台市有の文化施設として、晩翠の愛用したベッドや書画、遺愛の品と共に公開されています。
主座敷の前にはお庭が広がります。手前に飛び石が打たれ、奥に景石と低木の植栽された町家のお庭(あと晩翠のブロンズ像も)。面白いのが、“杜の都”仙台の街路樹もこのお庭の植栽の様になっている点。お庭の植栽だけでなく、街路樹によってこのお庭の緑が更に深まっている!
晩翠草堂の奥にある空き地は『仙台ユネスコ会館跡地』。仙台ユネスコ協力会は実は世界で初めて“民間”で「ユネスコ」の運動/活動を行った組織で、仙台から日本各地へとその運動は広がったのだとか。その昭和モダンな建築は2016年に老朽化により解体されたものの、その説明版が立ちます。併せてチェックしてみて。
(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
仙台市地下鉄東西線 青葉通一番町駅より徒歩4分
JR東北新幹線 仙台駅より徒歩15分
JR仙石線 あおば通駅より徒歩10分
JR仙台駅より路線バス「晩翠草堂前」バス停下車すぐ
〒980-0804 宮城県仙台市青葉区大町1丁目2-2 MAP
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