豫章館庭園

Yoshokan Garden, Obi, Miyazaki

国の重要伝統的建造物群保存地区の城下町・飫肥を江戸時代通じて治めた藩主・伊東氏が明治時代に造営したお屋敷と、借景の美しい枯山水庭園。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

豫章館庭園について

「豫章館」(よしょうかん)は国の重要伝統的建造物群保存地区・飫肥の城下町を江戸時代に治めた飫肥藩主・伊東氏のお屋敷。高台からの景色が美しい枯山水庭園が残ります。

日本で2番目に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された城下町“九州の小京都”飫肥。
“曾我兄弟の仇討ち”で有名な鎌倉時代の御家人・工藤祐経の子孫でもある日向伊東氏が桃山時代に本拠地に定め、関ヶ原の戦い以降も離れることなく江戸時代を通じて飫肥藩を統治しました。城下町の地割は桃山時代〜江戸時代初期に形成されたものをよく残していて、武家屋敷の門・石垣・石塀の並ぶ趣きのある町並みが見られます。

そんな飫肥の中心、『飫肥城』の大手門の目の前にあるのが「豫章館」。明治時代に入り廃藩置県〜版籍奉還の後、飫肥藩最後の藩主(14代目藩主)&初代飫肥藩知事となった伊東祐帰が城内から移り住むために1869年(明治2年)に造営されたのがこの屋敷。
江戸時代には家臣(御三家)の伊東主水の屋敷がありました。“豫章館”の名は庭園の北隅にあった樹齢数百年の大きな楠木が由来。

同じ飫肥の『旧伊東伝左衛門庭園』『旧報恩寺庭園』と異なり庭園は文化財(名勝)指定/登録はされていないし、国の文化財…と比べるとスケールが小さく感じる“日南市指定文化財”なのだけれど、飫肥の中で最も格式が高いお屋敷&庭園はここ。

約6,500平方メートルの敷地内には主屋・雑舎・蔵・御数寄屋という近代の和風建築と、主屋に面した回遊式の枯山水庭園などから構成されます。

飛び石と刈り込み、南国らしいソテツの植栽などで構成されるこの庭園、興味深いのはその庭園が“武学流の作庭”とされていること。借景の取り込み方以外にも青森の大石武学流との繋がりや類似性がある?
飫肥の古い街並みは庭園にも注目!

(2014年2月、2017年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日南線 飫肥駅より徒歩約20分(※飫肥駅にレンタサイクルあり)
宮崎市内・日南市内から路線バス「飫肥城下」バス停より徒歩5分

〒889-2535 宮崎県日南市飫肥9丁目1-2 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。