旧報恩寺庭園(五百禩神社)

Kyu-Houon-ji Temple Garden, Obi, Miyazaki

“九州の小京都”飫肥を江戸時代通じて治めた藩主・伊東氏の菩提寺に残る三連石橋の庭園。国登録名勝。神社の建築も国登録文化財。

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旧報恩寺庭園(五百禩神社)について

「五百禩神社」(いおしじんじゃ)は“九州の小京都”こと国の重要伝統的建造物群保存地区・飫肥の城下町のはずれに鎮座する神社。かつては飫肥藩主・伊東家の菩提寺『報恩寺』があった場所で、境内に残された庭園は「旧報恩寺庭園」として国の登録記念物(名勝地関係)に選定。

日本で2番目に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された城下町・飫肥。
“曾我兄弟の仇討ち”で有名な鎌倉時代の御家人・工藤祐経の子孫でもある日向伊東氏が桃山時代に本拠地に定め、関ヶ原の戦い以降も離れることなく江戸時代を通じて飫肥藩を統治しました。城下町の地割は桃山時代〜江戸時代初期に形成されたものをよく残していて、武家屋敷の門・石垣・石塀の並ぶ趣きのある町並みが見られます。

飫肥の城下町から酒谷川を隔ててすぐ西にある五百禩神社。元は飫肥藩初代藩主・伊東祐兵のために(菩提を弔うために?)創建された寺院『報恩寺』があり、伊東家の菩提寺として“飫肥三大寺”に挙げられました。現在も境内には伊東家の歴代の墓地が残るものの(日南市指定文化財)、明治時代の廃仏毀釈によって廃寺に。

室町時代に創立した歴史をもつ『五百禩神社』の社殿がこの場所に建立されたのはその直後。この神社もまた伊東家の歴史から名前が取られたゆかりの神社で、1876年(明治9年)に建築された本殿・拝殿・石堀・石橋及び石垣が国登録有形文化財となっています。

山裾に残された池泉鑑賞式庭園は江戸時代に報恩寺の庭園として作庭されたと伝わり、なので「旧報恩寺庭園」の名前で国登録文化財に。
他では武家屋敷の枯山水庭園が文化財として残されている飫肥の中では珍しい池泉庭園であり、中でも造形的に要注目なのは山の斜面にかけられた三連の石橋。地元の方いわく「昔はあの橋を渡っていた」とか…!

大正時代には飫肥で活躍した庭師・田嶋万之助によりお手入れされていた時代もあったそうですが、現在では落ち葉や土砂が堆積していかにも「廃寺の庭園」…って感じで…でも磨けば唯一無二の庭園の姿が見られそう。
飫肥の古い街並みは庭園にも注目!

(2014年2月、2017年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日南線 飫肥駅より徒歩約20分(※飫肥駅にレンタサイクルあり)
宮崎市内・日南市内から路線バス「飫肥」バス停より徒歩6分

〒889-2514 宮崎県日南市楠原1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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