広島藩主・浅野家の大名庭園『縮景園』も手掛けた京都の作庭家・清水七郎右衛門も関わった芸北の名園。モリアオガエルと共に広島県指定文化財(名勝)。
吉水園について
【例年6月初旬と11月の週末に特別公開】
「吉水園」(よしみずえん)は広島県の北西部・安芸太田町の加計にある広島県指定文化財(名勝)の庭園。江戸時代中期に作庭されたのち、広島市の国指定文化財庭園『縮景園』の改修も手がけた京都の作庭家・清水七郎右衛門によって現在の姿に改修されたと伝わります。
通常非公開ですが、庭園と同じく広島県の文化財(広島県天然記念物)に指定されている「吉水園のモリアオガエル」が産卵期を迎える5月下旬〜6月初旬頃と、紅葉が見頃を迎える11月の週末に特別公開されます。(*日程は公式サイトでご確認ください)
その歴史について。山陽(広島)〜山陰(石見)を結ぶ交通の要衝として、また江戸時代には「たたら製鉄」によって発展した旧・加計町。中心部に沿って通る可部線は2003年に一部廃線となってしまいましたが、国登録有形文化財『日新林業加計出張所』を有する加計隅屋を中心として現在もレトロな街並みを残します。
その加計隅屋・佐々木家がこの加計に移り住んだのは中世。江戸時代初期に鉄山の経営を始めると、奥出雲の櫻井家(『櫻井氏庭園』)、絲原家(『絲原氏庭園』)らと並ぶ西日本の代表的なたたら製鉄の鉄師へと成長。広島藩の鉄師取締役をつとめるなど藩の経営にも影響を及ぼす存在だったそう。
そんな加計隅屋16代目当主・佐々木八右衛門正任によって1781年(天明元年)に造営が始まった別邸・山荘が「吉水園」。加計の町や大田川を見下ろす山の中腹に池泉回遊式庭園と茅葺屋根の和風建築『吉水亭』と『松林庵薬師堂』が築かれました。その後、1788年から3度に渡って清水七郎右衛門による大改修が行われたそう。
もみじの新緑が美しい庭園も素晴らしいけれど、まず驚くのが『吉水亭』。この庭園の一番のビューポイントで、お座敷に加えて2畳の「高間」がある。この高間が上段の間であり、狭い茶室の様であり、また池にせり出すような感覚の高さを持ち、そして建物の外見は数寄屋風のアシンメトリーな姿を演出。
手掛けたのは地元の棟梁(森脇弥右衛門)だそうだけれど、決して交通が発達していない時代に、近代に人気を集める農家風の数寄屋風建築が実現されていたのか…!この吉水園には広島藩主・浅野斉賢(8代)、浅野長訓(11代)がはるばる訪れこの高間から庭園を眺めたのだそう。「吉水亭」の扁額は永平寺竹広大禅師の筆、また藩絵師?による絵画も空間を彩ります。
※近代以降も多くの文人墨客、河東碧梧桐、岸田劉生、東山魁夷、ノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士、そして元首相・岸信介が来園。
そんな吉水亭から「玉壺池」を見下ろし、遠く太田川までの眺望を借景として取り入れた池泉回遊式庭園。池の中に1箇所だけ石橋が架けられた中島がある、比較的シンプルな構成ながら、近代の小説家・鈴木三重吉が《満庭すべて楓の古木ばかりである》と評するなど自然の山のモミジや植栽が美しい!
春の公開では池にふりかかるモミジやツツジの木の所々にモリアオガエルの大きな卵が見て取れます。俳人・山口誓子はこの庭園の《藻の量 もりあをがへる 落ちてよし》の歌を残し、吉水亭では句が掲げられていました。(庭園よりもカエル好きの来場も多いそう)
秋にはこの青もみじが真っ赤に…!芸北の名園、特別公開時期にぜひ訪れてみて。
(2024年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)