世界的建築家・谷口吉生の代表作とも名高い美術館…その茶室も氏の設計による現代数寄屋建築の傑作で、苔と紅葉の庭園が美しい“童子苑”。
豊田市美術館 茶室“童子苑”について
「豊田市美術館」(とよたしびじゅつかん)は“世界のトヨタ”の街・豊田市に1995年(平成7年)に開館した美術館。その建築はニューヨーク近代美術館(MoMA)新館も手掛けている現代日本を代表する建築家のひとり・谷口吉生の設計。また美術館敷地内にある茶苑“童子苑”の茶室は同じく谷口吉生が設計を手掛けている、氏の作品の中では稀有な現代数寄屋建築。苔が美しい露地庭園が広がります。
豊田に遠征で訪れた際や好きなアーティストの展覧会で何度か訪れている豊田市美術館、2022年8月に5年ぶりに訪れました!当サイトでより推すのは美術館の本館ではなく(本館も好きです)、“童子苑”茶室。自分も3回目の豊田市美術館で初めて気づいたのだけど、めちゃくちゃ良くって…。
江戸時代には挙母藩の城下町だった豊田市。現在豊田市美術館の建つ台地(童子山)にはその城郭・七洲城(挙母城)が築かれました。美術館一帯は豊田市の都市公園『七洲城址公園』でもあり、敷地南西部には昭和年代に再建された“七州城隅櫓”も。石垣は豊田市指定史跡。
また隣接する和風建築『又日亭』(ゆうじつてい)は豊田市内にかつて存在した“寺部城”の城主・渡辺半蔵家の書院と茶席。明治時代に寺院に移築された後、昭和年代にこの地に再移築されました(現在は貸室として利用可)。名前の由来になっている当時の当主・渡辺又日庵は裏千家11代家元・玄々斎の実兄なんだそう。
谷口流モダニズム建築を引き立てるのがランドスケープ。美術館正面の自然石の石畳、スロープを上った先(または美術館の2階から屋外に出た先)の“空の水鏡/リフレクション”を映し出す水盤庭園…ランドスケープを手がけたのはアメリカのランドスケープデザイナー:ピーター・ウォーカー。谷口さんとは香川・丸亀駅前(MIMOCAの前)の広場を担当されてるとか。MIMOCAも何度か行ってるけど知らなかった…!
美術館には漆芸家・高橋節郎の作品を展示する『髙橋節郎館』も。(ちなみに長野・安曇野の『安曇野高橋節郎記念美術館』は豊田市美と雰囲気が似てる)
髙橋節郎館から道を進んだ先に茶苑“童子苑”があります。童子山から名付けられたこの茶苑、浜松市の茶室『松韻亭』と並び谷口さんの中ではレアな純和風建築で、施工は東京の数寄屋大工・水澤工務店。(もし浜松と同じチームならば庭園は岩城造園になるけど、正しくは不明…)
400円でお抹茶を一服いただける立礼席を備えた広間席“一歩亭”と、豊田市の“豊”の字の入った本席“豊祥庵”、腰掛待合と苔とモミジが真っ青で美しい露地庭園から構成されます。
5年前はまだあまり茶庭/露地を見慣れてなかったので「愛知や豊田市美術館にこんな苔がきれいな庭園があったのかよ…!」位の感想だったけど、その後色々見た中で思うと平成年代に日本国内に新たに誕生した茶庭/露地としては屈指の規模と美しさなのでは…?
で、今回初めて玄関〜主室も見学させていただきました(*貸室が無いタイミングで、幸運にも)。
玄関開けた瞬間に「おおぉ…!」と。視界に飛び込んでくる坪庭…京都『孤篷庵』をオマージュ…と言いたい所だけど、孤篷庵のオマージュも含む吉田五十八『旧山口蓬春邸』に寄せているようにも感じる。更に、この坪庭の中の赤い鞍馬石はなんとイサム・ノグチより譲り受けたものなのだとか…。
広間や広縁からの開放的な庭園の眺めも最高。そして廊下の天井には谷口さんが父・谷口吉郎から引き継いでいる六角形の明かりの意匠も(ここでは『游心亭』とは異なる、“現代建築ぽさ”を出してるのがまた良くて)。
なお写真は載せないけれど調理場(台所)が実は広くて豪華で…。「豊田市美術館に付属してる茶室」ではなくて「世界のトヨタの街の和の迎賓館」としての完成度。
広く公開されている平成年代の“現代数寄屋建築”としては『京都迎賓館』に次ぐ規模の素晴らしい空間…だと思うんだけど。立礼席〜庭園鑑賞〜主室の見学…と40分ぐらい滞在した間、自分しか居なかったんだよなあ…美術館内は沢山人が居たけど、そこから人が流れてない感じ。
確かにパッと見は格式高くて入りづらいかもだけど…400円だし気軽に一服してもらって、もっと“童子苑”の価値も知ってもらえたらいいな…!
(2010年10月、2013年3月、2017年8月、2022年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
名鉄三河線 豊田市駅より徒歩15分強
愛知環状鉄道線 新豊田駅より徒歩15分弱
豊田市駅より路線バス「美術館北」バス停下車 徒歩5分
〒471-0034 愛知県豊田市小坂本町8丁目5-1 MAP