松平春嶽や橋本左内も訪れた福井藩医別荘を起源とする料亭の、一面苔むした緑が美しい庭園。国登録有形文化財。
丹巌洞について
【料亭利用者向け/要事前連絡】
「丹巌洞」(たんがんどう)は江戸時代末期に福井藩の医師・山本瑞庵が別荘として建てられた草庵。その時代には福井藩主・松平春嶽や橋本左内、幕末の志士や文人などが訪れたそう。
その草庵は「丹巌洞草庵」として国登録有形文化財、一帯が福井市指定史跡となっています。現在は一面緑の庭園を擁する料亭として営業されており、福井の名料亭の一つにも挙げられます。
某ブラタモリでも以前紹介されたそうですが、知ったきっかけは福井市の文化財情報から。その後、新潟の『庭屋一如研究会』藤井代表が「あそこは庭園も良いですよ」とおっしゃっていたので行きたいなあと思っていた場所でした。なお料亭は一名での予約は不可……ご相談の結果、料亭利用のお客様の居ない時間に庭園を見せていただけることに。
福井駅・福井城跡からは約3km離れた、足羽山の西端の麓に位置する丹巌洞。当時からしたら福井の郊外のようなこの場所はかつては“赤岩”“笏谷”(しゃくだに)という地名で、赤土の岩盤が露出した断崖を元にした笏谷石の採掘場があったそう。「丹巌洞」の名も訓読みで「あかいわ」と呼んだとか…?
そんな石にまつわる場所ということで庭園には笏谷石が多数用いられており、日本遺産『福井・勝山 石がたり』にも構成されています。
藩医・山本瑞庵が薬草園と草庵を作ったのは1846年頃。入口付近に建つ土蔵のような形をした、でもその造りや内部は数寄屋風・でも壁は漆喰で塗ったかのように真っ白…というユニークな建物がそれ。
太平洋戦争の大空襲で甚大な被害を受けた福井の中心部においてこの建物が無事だったのは、“ちょっと郊外に位置していた”のが幸いしたんだろう。
そして庭園へ。訪れた時期は頭上は一面の緑、そして園路や庭石が一面苔にむしていて本当に美しい。その中で敷地の斜面を活かして、純和風の茶室やお食事席が配されていて、それらを回遊する体験はすごくワクワクさせられる。
昭和初めに山本家より宮崎又作翁という方が譲り受け、料亭としてオープンしたのは1950年(昭和26年)。現在の庭園の姿や和風建築はそれに伴って整えられたもの。…なんだけど、庭園にある下記の石碑からは「草庵だけじゃなく、庭園もある程度は江戸時代後期のまま残っているのかな」と。
これより南は文久初年 福井藩家老 本多福斉の別荘で宗教???????で経世家 鴻幸爪が静古山荘と命名した建物で 戦後 宮崎家が復原したものです 現在別荘地の一部は住宅地となっている静古山荘雅楽記の全文は松平春嶽遺稿に収めてある
文久初年=1861年。福井藩家老・本多家の系統を見ていると“福斉”という方はいないので…年代的には本多副元、字が近いのは本多副脩。鴻幸爪は幕末の宗教家で、やはり松平春嶽と親交がありました。この美しい料亭庭園、次回はちゃんとお食事に訪れたいです。ありがとうございました!
(2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸本線 福井駅より約3km(駅前にレンタサイクルあり)
福井駅より路線バス「福井競輪場前」「明里町」バス停下車 徒歩5分
〒918-8057 福井県福井市加茂河原1丁目5-12 MAP