教算坊(立山博物館)庭園

Kyosanbo (Tateyama Museum) Garden, Tateyama, Toyama

日本にはまだ知られざる美しい苔庭がある…富山のシンボル“立山”の信仰拠点だった芦峅寺集落に残る、江戸時代後期建築の宿坊の庭園。巨匠・磯崎新建築も!

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

立山博物館・教算坊(旧佐伯邸)庭園について

「立山博物館」(たてやまはくぶつかん)は富山県のシンボル・立山の歴史や立山信仰に関する展示や、関連する建築などから構成される富山県立の博物館。その展示館に隣接する「教算坊」(きょうさんぼう)は江戸時代後期に建築された芦峅寺の宿坊の一つで、苔の美しい庭園が残されています。
2023年4月、まだ立山の山頂に雪が残る頃にこちらの庭園に初めて訪れました。

日本を代表する名峰のひとつ・立山。一般の観光客の多くは富山地鉄〜ケーブルや観光バスで室堂を目指すかと思いますが、古くは平安時代から霊山として信仰された立山の山麓、芦峅寺エリアには立山登山の拠点となった集落が残ります。 立山にそびえる『立山雄山神社』の中宮の並びにあるのが立山博物館の展示館(建築設計はプリツカー賞受賞建築家・磯崎新)、そして教算坊。

ちなみに立山博物館は《広域分散型博物館》を名乗っていて、展示館から約500m離れた場所に「遙望館」、約1km離れた場所に国指定重要文化財の『旧嶋家住宅』、『旧有馬家住宅』、旧宿坊を移築復元した『善道坊』、そして『まんだら遊苑』『かもしか園』などの施設/エリアが点在します。ここでは「教算坊」を中心に。

平安時代〜鎌倉時代に成立し、戦国時代〜江戸時代には加賀藩前田家にも保護され、江戸時代後期には三十三坊が並んだと伝わる芦峅寺の宿坊。現在建物が残るのは教算坊と善道坊の2つ。
博物館の展示館に隣接する木塀の先にあるのが教算坊で、敷地の奥にある建築は江戸時代後期の文化文政年間(1820年頃)に建てられたもの。

ところで日本の代表的な宿坊というと高野山だけれど、立山の宿坊は実は少し意味が異なる。多くの大名に保護された高野山の寺院と比べて?立山の宿坊は「立山信仰(立山曼荼羅)の全国への布教拠点」でもあり、高野山の宿坊と比べると寺院・宿場に加えて“民家”としての機能がより入り込んでいる。寺院のお堂…というより普通の大きな「庄屋屋敷」のような雰囲気。

明治時代の廃仏毀釈以降、教算坊は民家として転用され昭和初期〜1982年(昭和57年)までは佐伯宗義氏の邸宅として使用。1983年に佐伯家から富山県に寄贈され建築と庭園の公開が開始されました(なので『旧佐伯邸』の表記も)。

門から建築の間に一面の苔の美しい池泉回遊式庭園が広がります。この庭園の原型はおよそ200年前、江戸時代後期に作庭されたもの(高野山で修行した真言宗の僧・龍淵による当時の手水鉢なども残る)。
佐伯氏の所有の時代、昭和年代に何度か改変はされているそうだけど(直線的な延段などは近代かな?)、苔むした庭石と立山大杉の高木が並ぶ姿はこのお庭の決して浅くない歴史を感じさせます。

訪れた日はちょうど地元の方々が池庭の掃除をされていて。その中で滝のお手入れをされていた方曰く、滝は黒部の山々から流れ落ちる白糸の滝が表現されたもの。その滝に降りかかるように植栽されているイチイは黒部の山にかかる雲が表現されているのだとか。

2012年に教算坊庭園は「とやまの名勝」に選定されたそうだけど——規模といい歴史といい、もっと評価されてもおかしくない庭園なのでは…!
建築内では立山信仰に伝わる《立山曼荼羅》などを展示。またお茶会などのための貸室として利用することもでき、6月や11月には来園者へのお抹茶の無料接待もされているそう。立山観光の方の休憩所としても注目されて欲しい庭園!

(2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

富山地方鉄道立山線 千垣駅より徒歩30分
立山町コミュニティバス芦峅寺線「雄山神社前」バス停下車 徒歩2分(日曜運休)

〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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