2021年開館。北前船や近代海運業で栄えた“岩瀬五大家”“五大北前船主”の明治時代の邸宅。国登録有形文化財。
旧馬場家住宅について
「旧馬場家住宅」(きゅうばばけじゅうたく)はかつて“北前船”で繁栄した富山市の港町・岩瀬の古い町並みに残る商家の邸宅で、主屋、前蔵、壱番蔵及び弐番蔵、米蔵、西門及び西塀の5件が国登録有形文化財。日本遺産『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~』の構成文化財にもなっています。
富山駅から北へ約6km、ライトレール+徒歩で約30分程の場所にある岩瀬の古い町並み。2021年6月に10年ぶりに訪れました。お目当てのこの馬場家住宅は2021年1月より文化施設として一般公開がスタートしたばかり!(なお同じく公開されている北前船主の邸宅『森家』との共通入場券もあります)
江戸時代後期から“道正屋”の屋号で北前船主・廻船問屋として栄え、“岩瀬五大家”“五大北前船主”の一つにも挙げられる馬場家。
…という話から入ると「北前船で栄えた幾つかの豪商のうちの一つ」って感じなのですが、北前船が衰退して以降も近代の汽船・海運事業で成功。貴族院議員にも選出され、国の重要文化財となっている東京の『旧馬場家牛込邸』(最高裁判所長官公邸)はこの馬場家の東京別邸。
『旧馬場家牛込邸』の設計を手掛けたのがモダニズムの建築家・吉田鉄郎。京都の『新風館』や東京の『東京中央郵便局(KITTE丸の内)』の設計者として有名ですが、馬場家との縁が深く馬場家烏山別邸や熱海別邸、馬場家那須山荘の設計を担当。馬場家は同郷・富山出身の吉田のパトロン的存在だったと言えそう。
「旧馬場家住宅」の話に戻る。現在見られる邸宅は1873年(明治6年)に岩瀬で発生した大火で焼失した後に再建されたもの。通りから見える間口より、その奥行の長さ(トオリニワが30メートル!)が馬場家のスケールの大きさを感じさせる。
数寄屋風書院造りの座敷および昭和初期に拡張された新座敷から庭園を眺めることができます。奥行きのある敷地に合わせた、縦長のお庭。手前に伽藍石(庭伽藍?)が配されていたり、どことなく近代の京都の町家・商家の庭園のような雰囲気があって。
大きな川(旧神通川)を挟んでほぼ向かいにある豪農『旧内山家』の庭園にはそういうのが無いので、昭和初期の新座敷の増床の際に手が加えられたんかなって気がする。
馬場家が近代に栄えた時の投手は九代目・馬場道久。その妻・馬場はるは旧制富山高等学校(現・富山大学人文学部・理学部)設立のために多額の寄付をしたり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧蔵書を学校に寄贈するなど、社会事業家として富山の教育に貢献。
その他、新座敷の2階の中島杢堂による彫刻の欄間も美しい。あと面白いのは、敷地の最奥、登録有形文化財の米蔵を活用してクラフトビールの醸造所&店舗“KOBO Brew Pub”も。文化財の中でクラフトビール醸造っていいな。
“牛込邸”…がいつか公開されることを期待しつつ、まずはその前に馬場家のルーツを!
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)