隠れた名庭園!吉川氏/吉川元春の重臣・二宮俊実が創建した寺院に江戸時代後期に作庭された瀬戸内海の借景が美しい庭園。山口県指定名勝。
松巌院庭園について
「鐘秀山 松巖院」(しょうがんいん)は岩国市の中心部から南方、JR藤生駅から約2km/標高100mほど登った山の中腹にある臨済宗の禅寺。山口県指定文化財(山口県指定名勝)の庭園があります。
時々書きますが、新旧さまざまな庭園を見に訪れる(紹介している)けれど中でも“文化財の庭園を優先的に見に行きたい”という意識がある。この松巖院も3年前に岩国に来た時から頭にあったんだけどその時は行程の都合で断念し…2022年7月に初めて拝観!
そして写真の通りロケーションも含め素晴らしかった。
江戸時代初期の慶長年間、戦国武将・二宮佐渡守俊実が真如周伯和尚を開山に迎え創建。二宮俊実は戦国大名・毛利元就の重臣・吉川元春の家臣で、中国地方における毛利氏の戦いにもたびたび参戦し戦功をおさめました。
関ヶ原の戦いの後、吉川氏が岩国城に入ると時の吉川家当主・吉川広家に従って岩国に移住。最晩年にはこの松巖院を創建し仏門に入道、“佐渡入道”と称せられたそう。
また吉川広家からの依頼で戦国時代の毛利氏・吉川氏の歴史を記した書物『二宮俊実覚書』を執筆。その後の毛利氏について書かれた書物や歴史研究におけるマスターピースでもあるとか。
また三木但馬守祐則の子として生まれ、僧となった真如周伯和尚も吉川元春・吉川元長・吉川広家と歴代吉川氏に深く帰依された人物。先に紹介した北広島の『海応寺』、『旧万徳院』にも関わりあったりするのかも。
庭園は自由拝観ですが、山門前の「参拝のしおり」にある通り、まずは本堂を参拝した後に庭園拝観。
庭園は大きく分けて2つ。まずは本堂前に広がる苔&瀬戸内の海の借景の美しい枯山水庭園と、その奥に進んだ場所にある池泉回遊式庭園。この眺望を見て「ここまで登った甲斐あったな…!」と…。
江戸時代後期の安政年間に今北洪山禅師により記された市指定文化財の文書“松涛軒記”に『1800年代前半(文化〜天保年間)に当時の住職・月渓和尚により作庭された』と記されたこの庭園。
文化財指定の文章では「作庭者に関する史料が残っていて明確な点」が評価の理由の一つになっているけど、それをさておいても素晴らしい庭園で!
まず本堂前の枯山水庭園。繰り返すけど苔が美しいし、何より瀬戸内海の借景が唯一無二!地形や樹木の成長にも左右される、“高台部から海を借景とした”古庭園は決して数も多くなく、比較対象として思い出すのは宮城・気仙沼の国指定名勝庭園『煙雲館庭園』あたり。
この山の上でソテツの植栽も面白い。左右に配された姿は海に向けた門のような。
そして主庭園は山の斜面を生かした池泉回遊式庭園で、その一角に2階建でちょっとした楼閣風の“松涛軒”が建ちます(かつてはこの松涛軒からの鑑賞性を最重視されたから「池泉鑑賞式庭園」でもいい)。松涛軒の中は見られないけど茶室なのかな…?
こちらも色々な魅力が詰まった庭園で…江戸時代の寺院庭園らしい池泉・植栽の刈込み、そして飛び石・庭石・石組も良い。すごくデカい石塔(宝篋印塔)が庭園中心に鎮座してるのも庭園の中で異彩を放っていて面白いし。そして前庭から打って変わって山を借景としてるのも良い…そして庭園上部に上がると瀬戸内海と島々の風景が!
1831年(天保2年)にはこの庭園を訪れた岩国藩家老・香川琴山が賞賛した記録も残るそう。きっと歴代の岩国藩の偉い人が訪れては「松涛軒」でお茶に講じていたのかも。観光寺院ではないけれど、それでもこの庭園はもっと知られて・評価されるべき庭園!
また境内には開基の二宮俊実や、毛利氏が滅した戦国大名・陶晴賢の供養塔も。岩国の隠れた名庭園、ぜひ訪れてみて。
(2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陽本線 岩国駅より路線バス「一本杉」バス停下車 徒歩20分強
JR山陽本線 藤生駅より徒歩30分(行きは登り)
〒740-0036 山口県岩国市藤生町5丁目24-6 MAP