宇野千代生家

Uno Chiyo Birthplace Garden, Iwakuni, Yamaguchi

昭和を代表する女流作家・宇野千代が自らの世界観を映した苔と紅葉の美しい庭園…執筆の場にもなった明治時代の町家は国登録有形文化財。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

宇野千代生家について

「宇野千代生家」(うのちよせいか)は近代〜昭和年代に活躍した女流文学者・宇野千代の生家。日本三大奇橋『錦帯橋』の西方、JR岩徳線・川西駅の程近くに明治時代に建てられた町家が「旧宇野千代家住宅主屋」として国登録有形文化財で、宇野千代さん自身こだわりの苔と紅葉の美しい庭園を眺めることができます。

2022年7月に初めて訪れました。約3年ぶりの岩国。その3年前にも行きたいと思ってて、でも行程の都合でカットして…今回は雨の日に当たってしまったのだけど、その美しい苔庭にとっては恵みの雨だった!

1897年(明治30年)宇野作品にたびたび登場する山口県・岩国に生まれ、郷里を離れた後の大正時代に作家としてデビュー。昭和中期に代表作『おはん』で各文学賞を受賞した他、女性ファッション雑誌『スタイル』の創刊、着物デザイナーとしても活動するなど多方面で活躍され、岩国市名誉市民/文化功労者/勲二等瑞宝章も受章された宇野千代さん。

その生家は『錦帯橋』や岩国の旧市街から徒歩15分程歩いた旧山陽道の脇道沿いに残ります。一時は老朽化が進んだものの、勲二等瑞宝章を受賞された1974年(昭和49年)に宇野千代さん本人により修復。
その後は執筆活動の場としても岩国や生家を訪れ、現在も自筆の「宇野千代」の表札が掛かり庭園に面した座敷には「水西書院の娘」等を執筆された千代さんの文机が残ります。

そんな縁側から眺める庭園が実はとても美しい…約50本のモミジともこもこの杉苔の庭園で、訪れた“一面の緑”の静寂の世界も心奪われたし、きっと紅葉の季節も抜群に美しいんだろう…。

この庭園は生家の修復の後に宇野千代さん自らの意向で作庭/改変されたもので、親交のあった瀬戸内寂聴さんと京都・嵯峨野の『厭離庵』を訪れた事をきっかけにインスパイアされたものだそう。緩やかな苔の築山の上の石造物(仏頭)も千代さん自身が骨董屋で購入し配したもの。
この縁側に腰掛けた宇野千代さんの写真パネルも。まさにこの縁側からこのお庭を眺められていた。

庭園の奥の方にある、縦に埋めた瓦による園路は、子供の頃に宇野千代さんが歩いたエピソードも。ということは当初の庭園も元々これぐらいの広さだったのかな。

また庭園には自身の小説『薄墨の桜』のモデルとなった岐阜県本巣市・根尾村の樹齢1400年の老樹に由来する桜(淡墨の桜)も。植樹された当初は苗木だった桜も現在は大きく成長し、春には青もみじに先駆けて庭園を彩ります。

亡くなられた後もNPO法人により守られ(現在の所有は岩国市)、宇野千代さんに関する企画展や庭園を舞台に宇野千代を偲ぶ茶会も時折開かれているそう。

パンフレットや生家の各所には宇野千代さんのさまざまな言葉が。

《桜も日本一、 錦帯橋も日本一、 こんな日本一の故郷を持っている幸せ者が二人とあるだろうか。私はとても故郷に感謝している。人間をつくるのは、故郷なのです。》

《故郷すなわち私である》《故郷こそ私自身のすべて》

そんな岩国に関する言葉も良いけど、

《熱中する 夢中になる そして何かが生まれる》

という言葉を旅先のこのお庭を眺めながら胸に刻みたい。またこの生家から徒歩5分ほどの『呑海山 教蓮寺』に宇野千代さんの墓所があります。岩国観光に訪れた際には『錦帯橋』一帯から足を伸ばして立ち寄ってみて。

(2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR岩徳線 川西駅より徒歩3分
JR山陽本線 岩国駅より路線バス「川西」バス停下車 徒歩6分
*錦帯橋から徒歩20分弱

〒741-0082 山口県岩国市川西2丁目9-35 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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