空海ゆかりの寺院に、航空機事故犠牲者を弔うため大森健二が建築した“翔空殿”と重森三玲作庭の庭園“仙遊苑”。
善能寺庭園について
「泉涌寺」(せんにゅうじ)は“御寺”の呼称でも知られる、皇室の菩提寺“皇室香華院”で真言宗泉涌寺派の総本山。「善能寺」(ぜんのうじ)はその塔頭寺院で、境内には作庭家・重森三玲により作庭にされた“仙遊苑”があります。2021年11月に立ち寄った時の写真を少しだけ追加。
その歴史は古く平安時代の823年(弘仁14年)弘法大師空海を開基として創建。その後、この地に移転してきたのは明治時代。門を入ってすぐ右手にはお稲荷さんがありますが、これは“日本最初の稲荷大明神”なのだそう。
参道正面に見る本堂“翔空殿”は建築家・大森健二さんによって昭和47年に造営されたもので、これは前年に北海道横津岳で遭難した航空機「ばんだい号」の犠牲者が善能寺と縁があったことから、その冥福を祈り建立されたもの。
この本堂を中心とした境内を重森三玲が担当しており、本堂側から門を振り返ると見える苔むした築山は航空機のような羽を持つものになっています。
ゼロ年代頃まではこの“雲紋築山”の周囲は白砂が敷かれていたようですが、今はだいぶ苔が侵食している。一方で参道の逆側、前回2016年末に訪れた時には苔の広場だったのだけど、今回は剥げて土になっていた(3〜4枚目の写真)。「沢山人が訪れて踏みつけた」とは思いづらいので、猛暑の影響かなあ…。
本堂を囲むように作庭された池泉鑑賞式庭園“仙遊苑”を手掛けた昭和47年は『豊国神社 秀石庭』なども手掛けた年。現在は池に水が貼られていませんが、多数の阿波の青石による石組が見所。
平安時代から続くこのお寺の歴史的背景から、平安・鎌倉・室町・桃山…といった各時代の庭園様式を取り入れながら、境内のテーマである“航空機”といったアイデアが散りばめられているそう――長く続く飛び石も、もしかして飛行機雲が表現されている?また奥まった場所にある巨石による滝石組も圧巻!
建築を手掛けた大森健二さん。建築研究協会の理事を務められた工学博士であり、『平安神宮』社殿、『成田山新勝寺』の大塔の設計、世界遺産『西芳寺』本堂や『京都御所』清涼殿の復元、園城寺勧学院客殿の修復などなど多くの寺社仏閣建築を手掛けられていた方なのですが、まとまった情報は東京文化財研究所のデータベースぐらいにしかない…。
善能寺庭園、普段は無人で自由に拝観することが可能ですが、16時〜17時?頃には門が締まります。すぐ向かいには“忠臣蔵”大石内蔵助ゆかりの『来迎院』さんも。
(2015年9月、2016年12月、2019年12月、2021年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)