大友氏館跡庭園

Otomo-shi Yakata ruins Garden, Oita

豊後国を治めた戦国大名・大友氏の館跡に室町時代に作庭、キリシタン大名・大友宗麟も手を加えた庭園。国指定史跡。

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大友氏館跡庭園について

「大友氏館跡」(おおともしやかたあと)はJR大分駅から線路沿いへ徒歩15分程の場所で発掘された、豊後国を治めた戦国大名・大友氏の城館跡。「大友氏遺跡」として国指定史跡で、近年復元整備された室町時代の庭園と大友氏に関する各種展示が見られる『南蛮BVNGO交流館』が公開されています。

2021年夏に約6年ぶりに大分市へ。『帆足本家 富春館』ともう一つ「次に大分行く時はここ行きたい」と思っていたのがこちら。前回来た頃はまだ発掘整備段階でした。

鎌倉幕府の御家人として豊後国守護に命じられた大友能直を初代として、戦国時代の終わりの1586年(天正14年)薩摩・島津氏に侵略されるまでの約400年間・22代に渡り豊後を治めた戦国武将・大友氏。大分市の中心にある城郭『府内城』が築かれたのは大友氏が離れた後の桃山時代以降。

「大友館」が築かれたのは1400年頃、10代目・大友親世の時代。その後も歴代当主により改修が重ねられ、庭園が作庭されたのは19代当主・大友義長の頃。そして大友氏の最盛期、キリシタン大名としても有名な大友宗麟(大友義鎮)とその子・大友義統の時代に大きく改修され、今回発掘・復元されたのはその時代のもの。

先述の島津氏の侵攻で消滅した大友氏館。江戸時代以降は土の下に眠り続け、昭和年代にもこの地には工場が建っていたそうですが、工場移転後の1996年(平成8年)の発掘調査で巨石(景石)が出土。約400年ぶりにその姿を表すことになり、発掘調査も本格化。(現在も庭園の隣接地では発掘作業が進行中)
発掘調査だけでも20年超の歴史がある中で、2016年から約4年間かけて復元整備されたのが「大友氏館跡庭園」。

200メートル四方の広大な館の南部分、1/3程度を占める池泉回遊式庭園は洲浜の遺構から“海を表現した”と推測されています。
ゆるい築山は室町時代/戦国時代の武家庭園としての時代性を感じさせるけど、その池は東池と西池に分かれその中央に変わった形の中島が配されている、(心字池と比べると)独特の形。そこには最盛期で九州6か国を治めた大友氏の権力の主張も感じられる。

滝は2箇所あるけど三尊石のような迫力ある石組を置かず、ゆるい築山と相まって規模は違えど『水前寺成趣園』のように変化に富んだ景色を感じさせる庭園。園内の東部からは大友氏の山城があった高崎山を借景に見渡すことができ、現代では日豊本線の列車との組合せも面白い。

まだ整備されたてなので新しい感じはするけれど、発掘された種子や花粉から選定された庭木による植栽も徐々に味が出てくるはず。文化財としては国指定史跡であって名勝ではないけれど、『一乗谷朝倉氏庭園』『東氏館跡庭園』『江馬氏館跡庭園』などと同じく室町時代~戦国時代の大名の屋敷の庭園として貴重な存在です。

あと面白いなあと思ったのは、館跡の広場に置かれた案内版にはQRコードが掲示されていて、そこからAR/VRで往時の大友氏館を体験できること。
もちろん理想は『建物も全部復元』で、一応将来的には建築の復元も計画はされているのだけど、当然ながら建築にまわせる予算が限られ年数も必要な中で、まずARやVRを通じてビジュアルで体験できるのは現代ならではだなと思います。今後の展開も楽しみ。

(2021年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR日豊本線・久大本線 大分駅より徒歩15分(*駅周辺にシェアサイクルあり)
大分駅より路線バス「東元町」バス停下車 徒歩3分

〒870-0025大分県大分市顕徳町3丁目5-3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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