京都仙洞御所の造営に参画した足守藩主・木下㒶定が余材で造営した“吟風閣”と、後楽園・衆楽園と並ぶ岡山の大名庭園。岡山県指定名勝。
近水園について
「近水園」(おみずえん)は豊臣家とも由縁のある足守藩主・木下家の居館に江戸時代中期に作庭された庭園。日本三名園『岡山後楽園』、国指定名勝『衆楽園』と並ぶ岡山県の大名庭園として岡山県指定名勝で、園内には五代目藩主・木下㒶定が京都の『仙洞御所』『中宮御所』の造営に参加した折に余った資材を貰い受けて造営した数寄屋建築『吟風閣』も建ちます。
同じ岡山市でも岡山市の中心部からは約20km程の距離がある足守の旧城下町の古い町並み。2022年5月に初めて訪れました。
この庭園の存在は2018年に吉備中央町の重森三玲庭園を巡った頃から頭にあったのでずっと来たかった…のだけどなかなかタイミングが合わず。
その主な理由は交通手段の問題で…最寄り駅から4km程離れているのだけど、現在路線バスはコロナ禍もあって休止中。2番目に近い備中高松駅の近くにレンタサイクルできるお店があるので今回そこを利用したのだけど、そのお店の「第三日曜日の定休」にぶつかったり雨だったりでその手段もようやく使えたってな感じで…。いずれにしても念願!の場所。
足守藩主・木下家について。初代藩主・木下家定は元は“杉原家定”の名で織田信長に仕えた家臣でした。時が過ぎ妹のねねが豊臣秀吉に嫁ぎ“北政所”となったことで秀吉から“木下”姓を与えられ姫路城主に。
関ヶ原の戦いでは中立を守ったことから戦い後も外様大名として存続、1601年に足守へ入ると(1610〜1613年の4年間だけ浅野家が入ったのを除き)そこから明治維新までの約270年間を13代に渡り治めました。
近水園とは地続きで南側に居館『足守陣屋』の石垣・堀の遺構が(『足守藩主木下家屋形構跡』として岡山市指定史跡)、そして木下家出身の近代の歌人・木下利玄の旧宅も残ります(岡山県指定史跡)。
そんな藩主のお屋敷の一角に作庭された約5,500平方メートルの池泉回遊式庭園が近水園。“きんすいえん”じゃなくて“おみずえん”。作庭年代は不明なものの18世紀初めと推定されているとのこと――その根拠?きっかけ?が庭園を俯瞰することができる築山の上に建つ「吟風閣」。冒頭にも書いたけど五代目藩主・木下㒶定によって1708年(宝永5年)に造営されたもので、おそらく庭園もそれに併せて作庭された――と推測されてるってことなんだろう。
超残念なことに、訪れた日が吟風閣の“臨時休場日”。うえええSNSで情報発信してない文化財施設だとこういうことがあるんすよ…泣。なので中からの眺めはわからないのだけど――立ち入ることが可能だったバルコニー部分からの眺めだけでも宇野山の借景も含めそのスケールの大きさがわかる。上から見ると手前の島がまんま亀島。
逆に池泉の中島から吟風閣を眺め見ると御殿山(宮路山)が借景に。この池泉庭園が“小堀遠州流の園池”というのは木下㒶定も見たであろう『京都仙洞御所』の“北池”から多少なりとも影響を受けたことを言い表しているんだろう。
往時は池泉とその外側を流れる足守川との間に竹が植えられ庭園空間が外部からは隔絶された空間だったそうですが、現在は地域の方々に常に開かれた公園になっていて、足守川に沿っては桜並木になっています。秋には中島や池泉周囲のモミジの紅葉が美しいはず…。今回は園内の牡丹園が見頃だった!
名実ともに日本トップの『岡山後楽園』があるゆえ、同じ大名庭園でも認知度も注目度も期待度も低い感じがすごくするけれど――(ほんと“公園”って感じ)、吟風閣含めてポテンシャルは高い庭園だと思う。足守の町並みとあわせてぜひ訪れてみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR吉備線(桃太郎線) 足守駅より約4km
JR吉備線(桃太郎線) 備中高松駅より約6km(駅近にレンタサイクルあり)
*足守地域への路線バスは休止中
〒701-1463 岡山県岡山市北区足守803 MAP